人となられた神様
ルカによる福音書2章1~7節
アドベント(待降節)3週目です。イエス様の誕生の時を見てみましょう。
1.人となられた神様
言うまでもなく、クリスマスはイエス様の誕生を祝う時です。今日の個所の1~3節には、その時代が明確に書いてあります。ローマ帝国の皇帝アウグストゥスが住民登録の勅令を出し、ユダヤも含むシリア州の総督がキリニウスであった時でした(1~3節)。歴史の授業が苦手だった人にはカタカナの名前が続くと厳しいですね。要はイエス様が歴史上の現実の世界に確かにお生まれになったということです。
その時、その場所にも現在の私たちと同じように人々は生きて、暮らしていました。クリスマスはおとぎ話ではなく、イエス様の誕生も神話のたぐいではありません。確かに神様は人間となって生まれてくださった。神様は私たちに無関心なのではなく、現実の私たちのもとに生まれました。ここにクリスマスの喜びがあります。
2.世界の片隅に生きる私に
巨大な帝国の地方州の片田舎、小さな小さな町で、まだ若い一人の女性が男の子を生み、飼い葉おけに寝かせられた貧しい姿で寝かせられた赤ちゃんの姿があります。これがクリスマスのリアルな様子です。世界の片隅に、まるで誰も注目していないように見える場所にイエス様は生まれました。
私たちもこの大きな世界の中で、小さな、時に孤独を感じたり、無価値な思いを抱えたりしながら生きています。神様はその私たちにこそ目を注いでいています。イエス様はそのあなたのもとにこそお生まれになりました。
3.扉を開いて
「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから(7節)」マリヤとヨセフは赤ちゃんを飼い葉おけに寝かせるしかありませんでした。生まれてすぐ、居場所のないイエス様の姿は神様からの「扉を開いて私を迎えてください」という、私たちへの語りかける声に聞こえます。今日この時、私たちも扉を開いてイエス様を迎えましょう。
<思い巡らし>
神様が人になられたということについて、どう思いますか? 孤独や無価値な思いを感じることはありますか? どのようにイエス様を迎えますか?