赦し主が来られる

イザヤ書 59章12~20節 

アドベント(待降節)2週目です。旧約聖書でやがて来られる救い主のイエス様がどんな方として預言されているのか、一緒に見ていきましょう。

1.贖う者が来る
 「主は贖う者として、シオンに来られる(20節)」とあります。イエス様は「贖う者」として来られました。「贖う」というのは、代価を払って買い戻すことを意味しています。たとえば、奴隷として売られた人を買い戻すとか、借金のかたに取られた物を買い戻すとかです。
 では、イエス様は誰をどこから買い戻すのでしょうか?
 イエス様は「あなた」を罪や悪、そして死や滅びから買い戻すために来られたのです。神様は私たちが罪や悪にがんじがらめになって生き、また滅ぶことを誰よりも放っておけない方です。それで自ら人となって来られたのです。

2.代価を支払って
 次に疑問に思うことは、どうやって買い戻すのかということです。それは、十字架によってです。私たちには確かに罪があります。神様は正しいかたですから、最終的に罪をきちんと裁かれます。私たちも、悪人が栄え、正しい人が苦しむのを見れば「正しい裁きを!」と思います(神様に造られたのですから)。でも、自分のことは棚に上げがちです…。
 実際、私たちは誰が神様の前に完全に正しくあることができるでしょうか。誰もできません。しかし、イエス様はその罪の裁きを全て、身代わりに受けました。それが十字架です。あなたを買い戻すのに、イエス様は自分の命を支払いました。クリスマスはあなたの命を買い戻す人が生まれたことを記念する、特別な日なのです。

3.罪を悔いる者のもとに
 さて、そんなイエス様は「罪を悔いる者のもとに来る(20節)」とあります。「私は正しい。どこにも売られていない」と言う人にイエス様は必要ありません。「私にはイエス様が必要だ」という人はそのとおりに祈り主を迎えましょう。

<思い巡らし>
い戻される必要を感じますか クリスマスの意義とは何でしょう