主の祈り

マタイによる福音書6章7~15節 

イエス様の山の上で弟子たちに語られたメッセージ。今日は「主の祈り」です。

日本キリスト教団勝田教会さんの投稿 2020年10月3日土曜日

1.祈りとは
 「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない(7節)」とイエス様は教えます。「異邦人」の意図は、神様を知らない人々ということです。信心の強さや、苦行が大切なのではなく、そもそも祈る相手が実在してないことが問題なのだというバッサリ感のあふれる言葉です。
 では、どう祈ればよいのでしょう。イエス様は「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ(8節)」と言います。大切なのはまず、あなたを造られた天に生きておられる父なる神様に祈りなさいということ。そして、願う前から必要を知っているのになぜ祈るのかと言えば、まさに祈りとは(願望のはけ口ではなく)「生きた神様と過ごす時間そのもの」だということです。

2.主の祈り
 「だから、こう祈りなさい」と言って、イエス様はいわゆる「主の祈り」を教えてくれます(9~13節)。実は主の祈りも「~なりますように、~ください」という願いの祈りばかりです。しかし、その中身は私たちの普段イメージする願いの祈りとは全然違います。祈りは神様との関係を築く時間ですが、まさにその関係性の中で出てくる神様の御心を求める祈りなのです。
 誰でもはじめは自分の願望を神様に願います。それで良いのです。しかし、祈り、神様と向き合う時間が積み重なっていけば、自然ともっと深い祈りを自分もしたくなるものです。それは「求める祈り」から「受け取る祈り」への変化です。

3.祈りの先にある一歩
 最後にイエス様は「人の過ちを赦す」ようにと付け加えます(14~15節)。それは、一方的な祈りではなく、生き方を通して応答していく祈りへの導きです。祈りの先に現実の変化があります。あなたが「赦されたように」人を赦す時、神様の御国がこの地に来る第一歩となるのです。

<思い巡らし>
祈りとは何でしょう。主の祈りはどんな祈りですか。祈りの応答は