YesかNoが人の限界

マタイによる福音書5章33~37節 

イエス様の山の上で弟子たちに語られたメッセージ。今日は「誓い」について。

日本キリスト教団勝田教会さんの投稿 2020年9月12日土曜日

1.誓いを立てること
 「偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ(33節)」という旧約聖書の教えをイエス様はとりあげます。しかし、私たち日本の社会では、あまり「誓い」というのが身近ではないかもしれません。
 逆に世界的には「誓い」に大きな意味があるのはなぜかと言えば、その背景にはやはり誓う相手である神様への畏怖の思いがあるからでしょう。まず今日の個所の背景そのものに「神を畏れなさい」というメッセージがあることを覚えましょう。

2.理屈でごまかすな
 実際、ユダヤの人々は神様を畏れていたからこそ、直接神様に誓うということを避けて「天にかけて」とか「エルサレムにかけて」とか、はては「自分の頭にかけて」と言うようにいわば間接的な誓いをしていました(34~36節)。しかし、そのような言葉の抜け道を探すようなあり方をやめなさいとイエス様は教えました。神様を相手に法解釈の言葉遊びのような真似は通用しないのだから、神様と面と向き合って誠実でありなさい、と言っています。本当に生きておられる神様と真剣に向き合うようにと、私たちは今呼びかけられているのです。

3.人の応答をこそ、主は喜ぶ
 最後にイエス様は「Yes」か「No」だけ言いなさい、と言われます。私たちは、たとえ何かを誓っても、その次の瞬間に生きているかどうかですら自分では決められないものだからです。主を畏れ、謙遜でありなさいという一貫したメッセージです。
 一方で、ここには私たちが神様に対して「Yes」そして「No」と、自分の意志を持って応えるようにという意味もあります。人は将来をコントロールすることはできませんが、その小さな存在に神様は自由に応答する特権を与えました。それは、神様が私たちを一方通行ではなく、自らの意志をもって応答する愛の関係に生きるものとするためでした。

<思い巡らし>
神様を畏れる感覚はありますか。神様に応答していますか