極めて良いもの
創世記1章26~31節
この世界のすべてを造られた主は、最後に特別な存在として私たちを造りました。
日本キリスト教団勝田教会さんの投稿 2020年8月22日土曜日
1.神にかたどって造られたもの
神様は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう(26節)」と言って、ご自分にかたどって人間を造りました。「我々」という言葉は、神様が何人もいるという意味ではなく、三位一体(聖霊なる神様、父なる神様、人になったイエス様)の主であることを表します。私たちも、霊と心と体を持つ存在として造られました。この霊によって、人は神様との関係の中で生きる特別な存在なのです。言いかたを変えれば、神様との愛の関係性を持って生きるものだということです。
また、男(アダム)一人だけ造られたのではなく、男と女に造られました。人が一人で生きるのではなく、互いの関係性の中で、助け合い、励まし合い、まさに愛という関係性を実践して生きるようにされました。
2.世界を治めるために
私たちは意味があって造られました。神様は「すべてを支配させよう(26節)」と言って人間を造られたのです。私たちの目的は、すべてを支配することです。
しかし、「支配」という言葉も誤解してはいけません。それは、与えられた世界をよく治めることをとおして、イエス様の栄光(神様の栄光)をあらわしていくためです。自然界も、人の住む世界(関係性)も、神様の栄光を反映した姿となるように、私たちは造られたのです。
3.極めて良いもの
人を造った六日目に、神様は特別に「極めて良かった(31節)」と思いました。誰が何と言おうと、本来の私たちの存在は「極めて良い」ものなのです。確かに、(創世記の続きを見ても)人は神様から離れて罪があり、この世界も人も極めて良いと思えない時がありますが、元々は極めて良かった私たちなのです。人の評価ではなく、まず神様の評価を受け取り、また自分自身の本来の姿を取り戻していきましょう。それは、イエス・キリストの聖なる神様の子どもの姿そのものです。
<思い巡らし>
神があなたを造られた。主の栄光を映す世に。あなたは極めて良い。