十字架によって
マタイによる福音書5章17~20節
旧約聖書とのつながりをイエス様ご自身が語ります。
日本キリスト教団勝田教会さんの投稿 2020年7月11日土曜日
1.完成するため
イエス様は御自分が来られたのは「律法や預言者(=旧約聖書)を廃止するため」ではなく、むしろ「完成するため」だと語りました(17節)。
当時のユダヤの人々は旧約聖書の律法をきちんと守ることに力を入れていました。それ自体は素晴らしいことですが、いつの間にか細かいルールを決め、「神様を愛されるものとして幸いに生きるため」という本来の意図よりも、「ルールを守ること」に目的が変わってしまっていました。
しかし、そのようにズレていってしまい、結局神様から離れていく罪人の私たちをみんな赦すために、イエス様は十字架にかかりました。旧約聖書の預言には、神様から離れて生きる人々に、それでも必ず救いを与えると約束が繰り返し出てきていました。その答えがイエス様でした。イエス様の十字架で聖書は完成しました。
2.一点一画も消えない
一方で、赦されるのだから、もう従わなくてもいい、ということではありません。今や、私たちは赦しを受け取って(信じて)、神様の子どもとされました。その愛されている子に相応しく幸いに生きるために、なお旧約聖書の教えは従うべき大切な教えです。十戒をはじめ、人の本来あるべき姿をあらためて学びましょう。
3.天国の入国条件
イエス様は律法学者やファリサイ派という、まさに自分たちの考える「律法」に従うことにこだわる人々に、「あなたたちの義がまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない(20節)」と言いました。それは、言い換えれば、律法を守ることが天国に入る方法ではないということです。では、天国に入るに相応しい義(正しさ)とは、どこにあるのでしょうか。それは、イエス様が十字架で私たちに一方的に与えてくれたものです。私たちは信じて受け取るだけです。
<思い巡らし>
十戒や律法を知っていますか 天国に入るにはどうすれば良いですか。