伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

ヨハネによる福音書19章17~27節  

イエス様は自ら十字架を背負って刑場に向かいました。

1.命の代価を払うために

イエス様は「自ら」十字架を背負って歩きました。ほかの福音書には、途中で力尽きて倒れ、代わりの人にかついでもらったことが記されています。しかし、ヨハネの福音書では、あえてそのことを書かずに「自ら」ということを強調しています。それは、十字架が与える死の罰を、たった一人で全部受け取られたという事実を私たちに確かに伝えるためです。

「この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです(Ⅰヨハネ2:2)」とヨハネは聖書の別の個所で記しています。いけにえは神様の怒りと罰が降るところです。イエス様は自ら、あなたの命の代価となって、私たちの受けるべき一切の怒りと罰を受けられました。

2.自分の十字架を背負って

 十字架は死刑の道具です。イエス様は自分を殺す道具を自ら背負って歩みました。そしてまた、私たちには「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(マタイ16:24)」と呼びかけています。

 自分を捨てること、また自分を殺すこととは、単に「自分を無くせ(自我を消せ)」と言っているのとは違います。なぜならイエス様は自分の意志で「自ら」十字架を背負ったからです。むしろ、自分の好むと好まざるとにかかわらず、神様が与えてくれた使命(十字架)を担う事こそが、私たちのすべきことです。

 神様の御心を求める人は幸いです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ(12:24)」とイエス様は言います。自分を中心にした生き方に死んで、イエス様の愛に応える生き方を生きるものになりましょう。そのような生き方は、やがて多くの実りをもたらします。

<思い巡らしてみましょう>

 ①十字架によって赦されていることを知っていますか ②自分を捨てるにはどうしたらよいでしょうか ③自分に与えられた十字架とは何でしょうか