成し遂げられた
ヨハネによる福音書19章28~42節
イエス様の死。この出来事は、私たちにとってとても大切な出来事です。イエス様は「成し遂げられた」という言葉をもって人となられた使命を終えます。「死」という人としての最大の試練を、イエス様ご自身が使命として成し遂げられる姿から、私たち自身が神様から与えられている使命に対してどのように向き合っていくのかを考えていきたいと思います。
1.神様の時(31節)
イエス様が死を迎えられたのは、「特別な安息日」と書かれています。過越の祭りと重なる安息日。そこに人の罪に対する赦しのための捧げられた「犠牲の子羊」の姿があり、その姿に、影絵のように、「イエス様の十字架の贖い」の姿が映し出されます。汚れのない子羊は、罪のないイエス様と重なり、その死をもって私たちの罪は、赦されるのです。律法で定められた規定通りにイエス様の十字架の死は、成し遂げられたのです。神様の使命には、神様の時があり、私たちの時ではないことを今一度私たちは確認するべきだと思います。
2.イエス様の使命(33~35節)
イエス様は絶対に、死ななければなりませんでした。それは、復活しなければならなかったからです。律法の通りに迎えられた犠牲の子羊であったイエス様は、ここから神の子としての使命をさらに果たされます。それが復活です。復活がなければ、神様に赦され、さらに死に打ち勝って生きることができません。また、神様からくる命(永遠の命)を私たちが受け取ることができないのです。イエス様は、ご自分の命を懸けて、神様が愛してやまない人間を生かさなければならなかったのです。私たちが神様の命に生きることこそ、イエス様の使命です。
3.私の使命(30節)
私たちは、神様から与えられた命で生きています。その命は、やがて天国という永遠の住まいへと移って、この地上の命が終わりを迎えても生きるのです。私たちは、「死んでも生きる」のです。地上でただ生きたらいいわけではありません。イエス様に倣って生きるなら、神様の使命に生きるのです。それは、神様の命に生きること、そして私たちの生きる意味なのです。