神と人と闘う

 創世記32章23~33節  

 故郷を前にして、ヤコブは兄エサウの憎しみが残っていないかと非常に恐れます。

1.神との格闘

 エサウを恐れるヤコブは主なる神様に助けを求めて祈ります。一方で、祈り終わるとすぐに、エサウの機嫌をうまくとろうと贈り物の準備を始めます。そこには、主を信じてはいるけれど、本当に主が応えてくださると信頼しきれない、ゆだねられないヤコブの信仰の姿が見てとれます(32章参照)。

 そんな中で、神様はなんと自らヤコブに格闘を仕掛けました(23~25節)。この格闘こそが主のメッセージでした。それは、祝福や救いを祈って求めつつも、神様ご自身とは向き合ってこなかったヤコブへの、信仰の核心を突くチャレンジだったのです。私たちも、時として神様に「何か」を求めても、神様ご自身こそ祝福であることを忘れてしまうものです。信仰は自分のための何かを神様に要求するものではなく、主ご自身と「顔と顔とを合わせて(31節)」共に生きるものです。

2.神と人と闘って勝った

この格闘はヤコブの本質に挑み、彼を成長させ、変えるような大きな闘いでした。神様は彼の「腿の関節を打って(26節)」、その足腰を砕きました。しかし、ヤコブは必死でしがみつき続けました(27節)。この出来事をとおして、ヤコブは神様に信頼してしがみついていくことこそ信仰の真髄だと気づきました。

主はそんなヤコブに名前を尋ねます。ヤコブの名には「足を引っ張る」とか「だます」という彼の人生を象徴するような意味があります(28節)。しかし、主はその名を打ち消して言います。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ(29節)」ヤコブはもうこれまでの自分ではありません。神様と向き合い、エサウへの恐れにも打ち勝った、新しい自分になったのです。

3.太陽が昇る頃

 闘いの後、彼は腿を痛めて足を引きずって歩くようになりました。それは一見すると不格好ですが、実は神様の光に照らされた輝かしい歩みのスタートなのです。

<思い巡らしてみましょう>

 何かではなく主を求めていますか、主と向き合って恐れを超えよう。