捨てられた石

 ルカによる福音書20章9~19節

 教会の暦では現在「レント(受難節)」です。イエス様のたとえ話から、その十字架にいたる苦しみ(受難)に心を向けましょう。

1.あってはならないこと

 イエス様のたとえ話はこうでした。ある人がぶどう園を作り、それを農夫たちに貸して旅に出ます。ところが、収穫を納めさせるために使いを送ると、農夫たちは袋叩きにして何も持たせず追い返します。三人使いを送ってもダメだったので、最後に主人は愛する息子を送ります。しかし、農夫たちは息子を殺してしまいました。

 この話では、主人は神様を、農夫たちはユダヤ人の祭司長たちリーダーを、そして、息子はもちろんイエス様をたとえています。一見すると荒唐無稽なたとえ話で、聞いていた民衆も「そんなことがあってはなりません(16節)」と言うほどでした。

 その「あってはならないこと」こそが、イエス様の十字架でした。イエス様は本来、神様が人となられた方ですから、私たちも含めてこの地上のすべてのものの主人である方です。しかし、人々は神のごとく権威と権利を主張して、イエス様を十字架にかけてしまいました。

2.捨てられた石

イエス様は聖書の他の個所を挙げて言われました。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった(17節)」指導者たちが、ねたんで捨てたイエス様が救いの土台となられたという意味です。まさに、イエス様は捨てられた石のように惨めに十字架で死にました。それは、私たちが受けるべき、すべての罪の罰を代わりに受けてくださったからです。このことを信じる人は、誰でも救いを受けます。

3.打ち砕かれ、悔いる心で…

 最後にイエス様は「その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう(18節)」と言います。高慢な人、神様を認めることのない人は、十字架の救いを受け取ることはありませんから、滅びてしまいます。しかし、十字架のもとに打ち砕かれ、悔い改める人は豊かに赦されます。自分の中に頑なな心がある人は、それを素直に捨てて信じましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 悔い改めがある人は祈りましょう。そして赦しを受け取りましょう。