足を洗われる

ヨハネによる福音書13章1~17節   

 十字架にかかる前の晩、イエス様は弟子たちと最後の晩餐を過ごしました。その席でイエス様は弟子たちの足を洗いました。それは、単なる親愛の表現ではなく、本当の神の愛で弟子たちを愛しているイエス様の姿でした。

1.足を洗われなさい

 当時、足を洗うのは召使(もっと言うと奴隷)の仕事でした。それを師であり、主であるイエス様が弟子たちの足を洗ったのですから、弟子たちにとってこの出来事はあまりに恐れ多いことでした。それで、ペトロは思わず「わたしの足など、決して洗わないでください(8節)」と言いました。しかし、イエス様は「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる(同節)」と応えたのです。

 前後を読むと分かりますが、ここでイエス様が足を洗っているのは、単に物理的にきれいにしたという意味だけではありません。翌日に十字架で私たちの罪を代わりに負って死に、私たちの罪を赦し、きよくすることを象徴している行動でした。

 私たちの罪を勝手に負って、私たちの汚れを勝手にきよくするというのは、ずいぶん私たちにばかり都合のいい話で、恐れ多い気もします。しかし、イエス様の愛は、「かかわる愛」です。私たちが拒んだり、恐れ多いと尻込みしたり、場合によっては関心すら持たないこともあるのに、あきらめずにかかわろうとしてくださいます。私たちに十字架の赦しと愛を受け取ってほしいからです。

2.イエスのように

 「主であり、師であるわたしがあなたがたの足をあらったのだから、あなたがたも互いに足を洗いあわなければならない(14節)」と、イエス様は言います。

 弟子たちはしょっちゅう「誰が偉いか」を言い争っていました。しかし、イエス様の見せている倣うべき姿は、一番偉い人は、誰よりも仕える人だという姿でした。イエス様がなさったように歩む人は幸いです。

<思いめぐらし>

イエス様はあなたと「かかわる」ことを望んでいます。どう応えますか。あなたの置かれた場所で誰かの足を洗う(仕える)ならどうしますか