もどかしい思いに

イザヤ書7章10~14節   

 アドベント(待降節)の第三週です。イエス様の誕生は、なかなか素直に信じることができない私たちへの、神様からの驚くべき応答でした。

1.もどかしい思い

イエス様の生まれる700年以上前の出来事です。当時、ユダ王国には敵からの危機が迫っていました。ところが、王であるアハズは何度も神様から助けられながらも、なかなか神様を信頼しませんでした。そんなかたくななアハズに対して、今日の個所では神様が「(信じるために)しるしを求めよ(10節)」とまで言います。ところが、アハズは信心深いふりをして「わたしは求めない。主を試すようなことはしない(12節)」と応えます。神様の目からは、もどかしいことこの上ない姿です。

私たちも神様にもどかしい思いをさせているかもしれません。実は神様の導きや助けを感じていながら、素直にそれを信じられない思いや、謙遜さを装って、本当は傲慢な姿が神様の目には見えているかもしれません。

2.主が御自ら

 そんな面倒な人間の姿に、神様は驚くべきアクションを起こしました。それは「わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる(14節)」というのです。かたくなな者を見捨てたり、あきらめたりするどころか、神様が自ら求めようとしない人間に、しるしを与えました。「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産む」とは、時を超えておとめマリアがイエス様を産むことにつながります。天使のお告げに戸惑うマリアでしたが、「聖霊があなたに降り(ルカ1:35)」、つまり神様の霊が体を持って直接マリアさんに宿り生まれると言います。イエス様の誕生は、かたくなな私たちに、むしろ押し付けるように与えられた神様の愛のしるしなのです。

3.インマヌエル

 また「その名はインマヌエルと呼ぶ(14節)」と語られています。インマヌエルとは「神様は我々と共におられる」という意味です。私たちのために人となって来て下さり、私たちを見捨てず救いを与え、共におられる方こそイエス様なのです。

<思い巡らし>

もどかしい思いをさせていませんか。主を心から信頼しましょう。