喜びで満たされる

ヨハネによる福音書16章16~24節   

「いつも喜んでいなさい(Ⅰテサ5:16)」と聖書は語ります。

1.不安や絶望感の先にある喜び

 イエス様が十字架にかかる前の晩、弟子たちはイエス様がいなくなると聞いて不安と悲しみでいっぱいになっていました(6節)。既に何度もイエス様は自分の身に起こることを予告していましたが、弟子たちは「何のことだろう」「分からない」と言って恐れました。

誰の人生にも、先の見通せない不安や、頼るべきものを失う絶望的な悲しみがあります。その最大のものは死でしょうか。しかし、イエス様を見て、信頼する人は幸いです。「その悲しみは喜びに変わる(20節)」からです。イエス様は十字架の三日後に復活をして永遠の命を証ししました。

2.二度と奪われない喜び

 イエス様の十字架は当然ですが大きな苦しみでした。しかし、イエス様は十字架を通して私たちに与えられる赦しと救い、さらに命の喜びはそれを吹き飛ばすように大きいものだと語りました(21節)。そして、復活したイエス様と再会した弟子たちも心から喜びました。イエス様の苦しみが私たちに喜びを与えました。

 この喜びは今を生きている私たちにも与えられています。イエス様の霊(聖霊)が今も私たちと共に生きておられるからです。その喜びは奪い去られることはありません。永遠の主、誰よりも力ある方がいつも、ずっと共にいてくださる喜びです。

3.喜びで満たされる

 最後にイエス様は、「わたしの名によって」父なる神様に願うように言いました(23-24節)。そうすれば、願ったものは与えられ、喜びに満たされると言われます。これは祈りが聞かれるためのコツや方法ではありません。肉の欲望から出る願いは聞かれてもまたすぐに飽きて喜びを失います。しかし、イエス様につながって、主の御心を願う人は、必ず与えられ、飽きることなく満たされるものとなるのです。

<思いめぐらしてみましょう>

 ①不安を主にゆだねて喜びに変わった経験はありますか ②いつも喜んでいるにはどうしたらよいでしょう ③願いの祈りはどうあるべきでしょう