イエス様の祈り

ヨハネによる福音書17章6~19節   

 最後の晩餐は、イエス様の祈りをもって終わります。そこには、私たちを執り成すイエス様の言葉が残されています。

1.私たちは何者なのか?(6節)

 「世から選び出して私に与えてくださった人々」。イエス様は、共に最後の食事をして弟子たちをこのように呼び、とりなして祈りました。そこには、滅びの子として、イスカリオテのユダも共にいます。神様は、御自分の意志によって弟子たちを選び出した。自分を裏切る者も選び出した者として含まれているのです。私たちもこの弟子たちと同じように「神様が取り分けた者」なのです。私たちの姿がどの様であっても神様に取り分けられた者であることは変わらないのです。

2.去っていくイエス様の想い(9~11節)

 イエス様は、この後十字架にお架かりになり罪人のように命を奪われ、父なる神様のもとへ、帰って行かれます。愛してやまない弟子たちをこの地において、天へ行かれるのです。そこでイエス様は、この弟子たちをご自分と同じ関係にあるものだと父なる神様に祈ります。そして、「わたしは彼らによって栄光を受けた」とまで父なる神様に言ってくださるのです。人の目には、私たちがイエス様を十字架に架けた、裏切り者の罪人です。しかし、イエス様はこのことを通して、愛する人たちを救うことのできる神の栄光の姿だと言い切るのです。神様の選ばれた私たちが、

この神の愛を受けて、互いに愛し合い、神様を信じて一つとなってほしい、これが父なる神に願い求めたイエス様の願いなのです。

3.イエス様の遺言(15~19節)

 イエス様は、弟子たちのために「彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってください」と祈り求めます。弟子たちは神様に選ばれた者としてここで生きて行くのです。私たちの生きるところには、信仰の故に苦しみがあります。また神様からの試練もあります。そこを避けて通るのではなく、超えていくことをイエス様は祈っておられるのです。「苦しくても、生きよ!」。主の守りと励ましを受けて、苦しみを超えてゆく。この姿こそが、イエス様の祈りにより、神様に生かされた永遠の命に生きる者の姿なのです。

 「主を仰ぎ見て」、神様の光と力により、進んでゆきましょう!