聖霊の働き

ヨハネによる福音書16章5~15節

 先週に引き続き、「聖霊なる神様」について御言葉に聴いていきたいと思います。

1.「聖霊」は、力ではなく人格(5~7節)

 私たちが「聖霊」と聞いてイメージするものは、見えないものであったり、私たちに働く力のようなものであったり、感覚的なものとして捉えていることが多いと思います。言葉自体でも、「聖霊」は、「神様の霊」「イエス様の霊」と言われて目にすることのできない者であることのイメージを強めています。しかし、「聖霊」は、三位一体の神様として存在する神様ご自身であり、人格を持っておられるお方です。父なる神様やイエス様を形のある存在する者として関わるように、聖霊なる神様も形ある存在する者として、私たちが受け取ることはとても大切です。『弁護者』(7節)と書かれているのは、人間が存在するように、聖霊なる神様も存在している人格のある者であることを現しています。

2.聖霊なる神様と一緒にいてわかること(8~11節)

 「聖霊なる神様」が共にいてくださって私たちは、「イエス様」のことがわかります。簡単に言えば、私たちがイエス様の栄光を現わすこと、もう一つは、福音の真理(神様が人に知ってもらいたいこと)が明らかになることです。「イエス様の栄光」は「イエス様の十字架と復活」です。私たちは、十字架により罪を赦され、復活によって死にも勝利する永遠の命に生きる者としてこの世(罪の世界)に置かれて、輝かしく生かされます

「福音の真理」は、聖霊なる神様が共にいなければ、明らかにされることはありません。「罪」は悪いことをすることではありません。神様を知らないことです。自分の好き勝手に生きることの結果、悪いことが起こってくるのです。「義」は私たちの正しいことではありません。イエス様の言葉と行いが成っていくことです。イエス様が十字架で死に復活されたことで、私たちがイエス様を通して神様に救われていることを意味しています。「裁き」は、私たちが善いか悪いかジャッジすることではありません。神の愛するこの世が罪をよしとしていること(サタン)によって支配されている状況から、イエス様を信じる信仰によって救い出すことです。

「弁護者である聖霊なる神様」が助けてくださらなければ、私たちは何もわからないのです。