心にかけるもの

ヨハネによる福音書12章1~8節   

 イエス様が死んでしまったラザロを生き返らせたことで、ユダヤ人の指導者たちのねたみがピークに達しました。十字架にかけられる時まで残り約一週間となった日、イエス様はラザロの姉妹マリアから高価な香油で足を洗われます。

1.本心のありか

 マリアが高価な香油を使ったことにユダが文句を言いました。「なぜ(香油を売って)貧しい人々に施さなかったのか(5節)」しかし、ユダが心にかけていたのは、実は貧しい人ではなく金と自分でした。彼は仲間たちの会計係をしていて、中身をごまかして私腹を肥やしていたからです(6節)。

 一見すると立派に見える言動でも、本心を主はご存知です。あなたの心はどこにありますか、と私たちは問いかけられています。

2.あふれるほどの心で

 マリアはイエス様の死を予感して「葬りの日のために(7節)」と高価な香油をイエス様にささげました。そして、足を洗うという行為は「しもべ」の姿をあらわしていますから、彼女が主に仕えるというイエス様への信仰と献身のしるしとしてこの行動をとったことがわかります。マリアの心はイエス様にありました。

 貧しい人を心にとめないで良いということではありません。イエス様自身がそのことを誤解がないように言っています(8節)。香油があふれ落ちて、マリアがそれを髪でぬぐったように(3節)、大切なのは「まず」イエス様に心を留めるならば、むしろ豊かなまわりの人々にまで恵みを分かち合うことができるということです。

3.イエス様の心は

 イエス様は裏切るユダをも心にかけていました。彼を使徒たちの内に置き、何度も立ち帰るチャンスを与えます。誰の心の内にもユダと同じイエス様に背くところがあります。イエス様の心にはあなたがいます。「まず」イエス様が私たちを愛されました。だからこそ、私たちはまずイエス様に心を向けるのです。

<思いめぐらしてみましょう>

 あなたの心に何がありますか?まずイエス様に心を向けましょう