良い羊飼い
ヨハネによる福音書10章7~18節
イエス様がご自分が何者であるかを「たとえ」で表現しています。
1.羊の門を通って
「わたしは羊の門である(7節)」とイエス様は言います。イスラエルの地方の牧場では、羊が戻る時に通過する門は、一頭ずつしか通れないような狭い門だそうです。そこを通しながら羊飼いが一匹ずつ安否を確認するのです。イエス様は続けて「わたしを通って入る者は救われる(9節)」と言われます。つまり、イエス様を信じる信仰によってのみ、私たちは天国に入ることができるということです。
2.良い羊飼い
なぜイエス様だけが門なのでしょうか。続けてイエス様は「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる(11節)」と言います。
私たちは誰でも罪があると聖書は教えています。その罪とは犯罪に限るものではなく、神様の目には明らかな、心の中も含めてすべての天国に相応しくないものです。しかし、イエス様は私たちの持っているすべての罪の罰を十字架で代わりに受けてくださいました。だから、私たちはそれを受け取るだけで(信じるだけで)、天国に入ることができます。
なぜ、イエス様なのか。わたしたちのために命をも捨てられたのがイエス様だからです。
3.羊飼いの愛
イエス様の動機は愛です。イエス様は私たちを知っていますし、愛しています(14~15節)。
これはどこか遠い国の話ではありません。神様は私たちのいる世界のすべてを造られた方だからです。イエス様が「わたしには、この囲い(ユダヤの人々)に入っていない他の羊もいる。その羊をも導かなければならない(16節)」と言っているのは、今を生きている私たちのことに他なりません。
今日もイエス様はあなたに呼びかけています。応えて命を得る者になりましょう。
<思い巡らし>
イエス様が救いに通じる門です。
イエス様は命を捨てるほどに、あなたを愛しています。