命がけで逃れよ

創世記 19章15~29節    

   

 

 ロトの住む低地の町ソドムとゴモラが神様によって滅ぼされることになりました。しかし、アブラハムの祈りに応えて神様は前もってロトを助けることにしました。

 

1.命がけで逃れよ

 神様はロトに「命がけで逃れよ…さもないと、滅びることになる(17節)」と呼びかけました。ここには、罪から離れるのは「命がけ」だということが語られています。

 「罪の報酬は死です(ローマ6:23)」と聖書は隠さずに教えています。しかも、それは単なる死ではなく、死の先にある滅びを意味しています。しかし、私たちへの福音(良い知らせ)は、イエス様がその滅びを身代わりに受けてくれたということです(Ⅰヨハネ4:10)。

 一方で、私たちは与えられている命に、イエス様の命が懸けられていたことを「自分のこと」として受け止めるのが難しいことがあります。このことを真剣に考えてみましょう。「命がけで逃れよ」という鬼気迫る御言葉に耳を傾けましょう。

 

2.後ろを振り返るな

 また、神様は逃れるにあたって「後ろを振り返ってはならない(17節)」と言います。罪の誘惑は強いものです。たとえどんなに結果が恐ろしいものだと知っていても、見てしまうと誘われて離れられなくなります。「振り返るな」、そしてそもそも見るなという予防の大切さが教えられています。「目の欲」に気をつけましょう(Ⅰヨハネ2:15~17)。

 

3.低地から離れる

 さらに神様は加えて罪に満ちた町が連なる「低地」を離れるようにと、ロトに命じます(17節)。罪に満ちた環境から離れるように心がけることも重要です。この世に倣うのではなくて神様の御心は何かを求めましょう(ローマ12:2)。

 ためらうロトを主は憐れんで導き、救い出してくださいました。しかし、最後にどうしても振り返ってしまったロトの妻は塩の柱となりました。今、私たちも主の呼びかけに応えて、罪の滅びから離れ、イエス様の命を受け取りましょう。

 

<思い巡らしてみましょう>

 十字架の犠牲と赦し、目の欲、罪の環境について考えてみましょう