わたしを顧みる神
創世記 16章1~16節
信仰の父アブラハムも、多くの信仰的な失敗をしています。しかし、それらの失敗を通してこそ信仰(=神様との関係)は成長します。三つの失敗に学びましょう。
1.サライの失敗から「主の御力への信頼」を学ぶ(1~2節)
数えきれないほどの子孫を与えられる、と神様に約束されたアブラハムとサライ夫妻でしたが、老齢になっても二人には子どもが与えられませんでした。そこで、サライは自分の召使いであったハガルをアブラハムの側女とし、子どもを得ようとしました。いわば、「現実的な」自分なりのやり方で結果を出そうとしたのです。神様の約束を実現するのは全知全能の神様ご自身によります。
2.アブラハムの失敗から「愛と愛情の区別」を学ぶ(2~3節)
「アブラム(アブラハム)は、サライの願いを聞き入れ」ました。サライの感じているプレッシャーへの配慮もあったのかもしれません。しかし、彼の信仰よりも情によった判断は結果的に関わる全員への苦難をもたらすことになりました。私たちが自分の愛情よりも、神様の愛に信頼するなら、神様は最善の「時」をご存知です。
3.ハガルの失敗から学ぶ(4~6節)
側女となったハガルはやがて身ごもります。「ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた」のです。ハガルは、サライを見下すようになりました。高慢は神様の最もお嫌いになる罪ですが、人には確かにこの性質があります。人と比べることから解放されて神様と向き合うほかありません。
4.わたしを顧みる神(7~16節)
そんな人々の失敗の中で、神様はなお私たちを見捨てません。ハガルは逃亡しますが、彼女のもとに主の御使いがあらわれて四つのことを示します。第一に、自分の立っている場所を見直すこと。第二に、謙遜と従順を身に着けること。第三に、祝福の約束。そして最後に、あなたは見捨てられていないということです。
<思い巡らしてみましょう>
1.現実を超える主の力を信じることに難しさを感じますか。
2.「信仰」と「家族(への配慮)」で悩んだことはありますか。
3.自分の中に「高慢」の問題があると感じることはありますか。