人の子よ、帰れ

詩編90篇1~17節

 

 永眠者記念礼拝です。人生と、その終わり、そして、その先を祈るモーセの詩。

 

1.人の子よ、帰れ

 この世界を造られ、私たち人間を、一人ひとり造られたのは、主というお名前の神様です(2節)。モーセはその主に向かって、こう祈り始めます。

 「あなたは人を塵に返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります(3節)」

 ここでは二度、「もどす」という言葉が使われています。

 まず、神様は「土の塵で人を形づくった(創世記2:7)」のですが、同じように「人を塵にもどす(返す)」方だと言います。地上の歩みを終えれば、塵からできた身体は塵となって土に返ります。主がそのように造りました。おそるべき方が人に生を与え、また死をも与えます。

 同時に、神様は「人の子よ、帰れ」と私たちをご自身のもとへと招き、呼び戻します。肉体は塵に返りますが、主が吹き入れた命の霊は(創世記2:7)、「人の子よ、帰れ」と天の国から呼ばれているのです。人の命は偶然の産物ではありません。一人ひとりを主は愛し、御許に呼んでいます。その声に応える人は幸いです。

2.生涯の日を正しく数える

 この地上の歩みは、はかないものです。まして、神様から離れて生きる罪の生涯は、むなしく、得るところは労苦と災いに過ぎません(4~11節)。

 しかし、「その先」の命を知っている者は幸いです。私たちはイエス様の福音を知っています。十字架の罪の赦しの約束と、復活の永遠の命の約束です。死んだら終わり、ではなく、一夜のように過ぎ去る人生の先(5~6節)に、永遠の命に目覚める朝があると知る者(14節)は、「その先」を見据えた「生涯の日を正しく数える」ことができます(12節)。

3.主を迎えて

 もう一度、最後に「もどす」という言葉が使われます。今度は私たちが主を呼ぶ声です。「主よ、帰って来てください(13節)」と私たちが求めて祈るのです。

 主を自分の王として迎える時、永遠の命の約束を私たちも受け取ります。

<思い巡らしてみましょう>

 永眠者を覚え、また自分自身の生涯と「その先」を思い祈ろう。