善い行いは隠せ
マタイによる福音書6章1~4節
イエス様の教えの言葉に耳を傾けてみましょう。
1.善い行いは隠せ
イエス様は「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」と言われます(1節)。特に今日の個所では、貧しい人たちへの「施し」という善行について語っています(2~4節)。
もちろん、善行は見られると価値がなくなる、というような堅苦しいことを言っているわけではありません。別の個所では、イエス様に従うなら、人々の前で、神様の素晴らしさが伝わるような、「立派な行い」を見せるようにと書いています(5:16)。ですから、人に「見てもらおうとする」ことを注意しているのです。
2.人の為に善いと書いて「偽善」
続けてイエス様は、人からほめられようとして、周囲の注目を集めてから善行をする人を「偽善者」だと呼んでいます(2節)。それどころか、自分の満足のために善行をすることについてまで、「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない(3節)」と言って注意しています。
ポイントは「誰に見られているか、ではなく、誰を見ているか」です。私たちは、周りの人や自分の目を気にして生きています。いや、気にするどころか、それだけが自分の価値をはかる基準だと思っています。しかし、本当に大切なのは、あなたを造られた神様です。誰に見られているかではなく、天の父を見て生きることです。
3.受け取るもの
天のお父さんに注目して生きている人には、誰も見ていなくても、「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる(4節)」と約束されています。人に見られて受け取る「称賛」という報いよりも、また自分に見せて受け取る「自己満足」という報いよりも、父なる神様を見て受け取る「地上の恵みと天国」は、比較にならない差があります。人間は「報い」がなければ健全に生きる気力が生まれません。しかし、ちっぽけで時と共に変わる「人の評価」を報いにしてはいけません。あなたはもっと価値がある人間です。父なる神様からの報いを受け取りましょう。
<思い巡らしてみましょう>
誰の目を気にしていますか。天の父なる神様に注目してみましょう。