かわいそうだ
マルコによる福音書8章1~10節
同じマルコ福音書の中に、二つの似たような奇跡が記録されています。一つは6章の「5000人の給食」と呼ばれる出来事。そして、もう一つが今日の個所の「4000人の給食」と呼ばれる出来事です。どちらも、イエス様がわずかなパンと魚を祈ってわけると、大群衆がお腹いっぱいに食べることができた、という不思議な奇跡です。「ほとんど」同じ出来事の、わずかな「違い」が重要です。
1.かわいそうだ
大切な「違い」の一つは、奇跡のパンと魚でお腹を満たされた群衆たちの「状況」です。「5000人の給食」では、イエス様の追っかけをする群衆を憐れんで、イエス様は教え、その日の内にパンと魚の奇跡を行います。一方で、今日の個所では群衆が三日間も既にイエス様と共にいたことが書かれています(1~3節)。三日間いて、お腹を減らした群衆が「かわいそうだ(2節)」という理由で、イエス様は奇跡を行い、彼らの空腹を満たしたのです。ここにイエス様がどのような方なのかが、よく表されています。すなわち、イエス様は生活の必要を満たそうとしてくださる方だということです。「宗教は心のためのもの」というイメージが世の中にはありますが、イエス様は世界の主である神様が人となられた方ですから、誰よりも現実に関わって下さる方なのです。そうでなければ信仰なんてなんと空しいものでしょうか。
2.思いを分かち合う
もう一つの「5000人の給食」との大きな違いは、弟子たちへのイエス様の関わり方です。今日の個所では、以前と違ってイエス様は弟子たちに「あなたたちが何かをしなさい」と試すことをしませんでした。むしろ、彼らを呼び寄せてから、「群衆がかわいそうだ」と、ただ単純に思いを分かち合っただけなのです。大切なのは、イエス様が私たちに「思いを分かち合ってくださる」ということです。実はそれは途方もないことです。主が、小さな人間に、ご自分の思いを分かち合い、まるで仲間のように、同労者のように扱ってくださるのですから!
<思い巡らしてみましょう>
イエス様はどんな方でしょうか。主と心を一つにしてみましょう。