最後の言葉

申命記32章45節~33章5節

今週は音声はありません。

モーセの生涯の最後に語った言葉が記されています。

1. 命の言葉を聞け

最後にイスラエルの民に聞かせた言葉も、あきれるほどに今まで繰り返した内容でした。それは神様の言葉を聞き、心に留め、従い守ることです(45~47節)。モ―セは本当にこのことばかりを民に言ってきました。そこにはイスラエルの民に対する並々ならぬ愛があるからです。何度言っても、満ち足りれば高慢になり神様から離れてしまう民の行く末を、心から心配しているモーセの姿が見えます。

 特に終わりに「(聖書の言葉は)決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である(47節)」と言っています。まるで子を心配する親のように、モーセは語りかけます。そして、それは父なる神様の思いを代弁しているようでもあります。モーセの言葉は時を超えて、今も私たちの耳に響いてきます。神様の御言葉はあなたにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたに命を与えます。今こそ聖書に真剣に耳を傾けましょう。

 

2. はるかに望み見る恵み

 四十年間にわたってイスラエルの民を苦労して導いてきたモーセですが、約束の土地に入ることを主は許しませんでした。そして、最後にその地を見渡すようにと山に登らせるのです(48~52節)。一見すれば、あまりに不条理で、かわいそうで、神様がいじわるのようにさえ感じます。しかし、ここに信仰者の恵みがあります。

 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです(ヘブライ人への手紙11章1節」

 モーセは地上の生涯で約束の土地を獲得することはできませんでしたが、信仰によってそれを確信し、既に得たものとして受け取ることができました。負け惜しみではありません。信仰者は地上にあっては信仰によって全ての恵みを受け取り、その歩みを終えれば天国に凱旋するのです。何という幸いでしょうか。

 聖書はモーセを「神の人」と呼びます。神様と心を一つに歩みぬいたモーセ。そのような信仰の歩みは、この世のどんな名誉を受ける生き方よりも豊かなものです。

 

<思い巡らしてみましょう>

聖書を開き、御言葉を聞きましょう。信仰をもって生きましょう。