神の家族
マルコによる福音書3章20~35節
イエス様の評判が広まると、イエス様に対する態度も二つに分かれてきました。
1.悪霊の頭
イエス様の癒しや奇跡を求めてついてくる群衆がいる一方で、家族は気が変になったと誤解して連れ戻しに来ました。さらに、宗教的な権威である律法学者はイエス様をおとしめようとしました(20〜22節)。
律法学者たちはイエス様が悪霊の頭の力で悪霊を追い出している、と悪評を流しました。それに対してイエス様は、ユーモアのある悪霊の「家(家族)」のたとえを用いて否定しました(23〜27節)。イエス様の力と権威は悪霊ではなく聖霊です。
2.聖霊によって
イエス様は律法学者たちに警告をしました。人のどんな罪も赦されるが、「聖霊を冒瀆するもの」は赦されないと言われたのです(28〜30節)。聖霊とは神様の霊であり、イエス様の霊です。なぜなら、イエス様は人となった神様だからです。
イエス様はそもそも十字架で私たちの罪を背負うために来てくださったのですから、どんな罪でも赦してくださいます。しかし、その赦し主であるイエス様の霊(聖霊)の働きを否定するのは、赦しを断固否定することになります。律法学者たちは自分のプライドを保つために、目にした奇跡や聖霊の働きをもかたくなに否定しました。現在でも、イエス様を求め始めると、人は不思議と神様の存在を体験し始めます。その時に、プライドや頑なさに負けずに素直に信じる人は幸いです。
3.神の家族
イエス様の家族も、イエス様の働きに反対していました。それに対してイエス様は「神の御心を行なう人」こそ、神の家族だと教えました(31〜35節)。
神の御心を行なう人と言われた人たちは、実際は救いより奇跡を期待する群衆や、頼りない弟子たちでしたが、イエス様を求めてついて来る人たちでした。神の家族とは偉そうな肩書きではなく、ただ神様の愛によって招かれている約束です。イエス様はあなたにとって何者でしょうか?反対するのでないならば、一歩踏み出してイエス様を求め、ついていきましょう。あなたもイエス様の家族になりましょう!
<思い巡らしてみましょう>
イエス様はあなたにとって何者ですか?求め、ついていきましょう