キリストからキリストへ

エフェソの信徒への手紙6章21~24節

手紙の結びの言葉です。全体のまとめに相応しい挨拶と祈りが書かれています。

1.励ましに満ちた愛

 まず、使徒パウロはエフェソの教会に同労者であるティキコを遣わすと伝えています。その目的はティキコの話を通して、パウロの「様子を知り…励ましを得るため(22節)」だと言います。様々な困難を抱えた異邦人たちの教会であるエフェソの教会が励まされるようにとパウロは熱く願っていたのです。
 実はパウロ自身の「様子」とは、いかに自分が順風満帆なのかということでは全くありませんでした。むしろ直前の20節を見ると、彼が「鎖につながれて」信仰のゆえに迫害を受けて軟禁状態になっていたことが分かります。しかし、そのことこそがパウロが伝えたいことでした。信仰は悪いことが起きないためにあるのでも、御利益を得るためにあるのでもありません。苦難の中でこそ、希望をもって生きることができる信仰の姿をこそパウロは伝えたかったのです。

2.キリストの愛で

 最後に祝福の祈りの言葉が書かれています。そこには「愛」と「主イエス・キリスト」が繰り返し出て来ます。第一にキリストの愛が一人一人にあるようにと祈っています(23節)。第二に愛されている一人一人がキリストを愛する姿を語っています(24節)。さらに、彼ら教会がキリストの愛によって互いに愛し合い「平和」があるようにとも祈っています。
 教会は良い時も悪い時も希望を持ち、キリストの愛を受け、それを実現しながら歩みます。それが主イエスの愛を受けた者の姿、教会の姿だと聖書は教えます。

 

3.キリストからキリストへ

 エフェソの手紙はその始まりの挨拶から、今日の箇所にある通り終わりの言葉まで「キリスト」で満ちています。それはまさに「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です(1:23)」という言葉通りです。私たち一人一人がキリストとその愛に満ちるようにと祈りましょう。

 

<思い巡らしてみましょう>

キリストの愛を知り、キリストを心に迎え、共に歩みましょう。