ヨハネによる福音書 4章1~30節
イエス様に出会った異邦人シリーズ、第二回目は「サマリアの女」です。
1.正午に、井戸で
「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである(6節)」
「ヤコブの井戸」があったのは、サマリア人たちの町シカルの外れでした。ここでイエス様に出会った女性はすなわち「サマリア人」であったということです。サマリア人はユダヤ人(イエス様もユダヤ人)とは犬猿の仲です。普段は出会ってもロをきくことすらない間柄です。
その井戸にこの女性が来たのは「正午ごろ」でした。最も目差しが強く、この土地では普通は誰も水汲みになど来ない時刻です。そう、彼女は他の人に会いたくない過去と現在を生きている人でした(参照16~18節)。
2.水を飲ませてください
愛を求めて、失い。後ろ指さされ。人としての尊厳も、生きる意味もなくして絶望の中で生きている彼女にイエス様は会い、どうしたのでしょうか?
「イエスは、『水を飲ませてください』と言われた(7節)」
それはこの女性にとって衝撃的な出来事でした。ユダヤ人の、しかも男性が、サマリア人の女で、こんな時間に水を汲みに来ている人間にものを頼むとは!
同時にそれは彼女にとって救いのはじまりでした。壊れた人間関係、壊れた神様との関係、その中で絶望していた彼女が主イエスに頼まれた単純な願いは、彼女の尊厳を回復し、生きる意味と価値を与え、神と人との関係を修復しました。
イエスに出会う人は、生きる意味と本当の価値を見つけ、人生を回復します。
3.渇くことがないように
さらに主イエスは言います「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る(14節)」
渇いている人はいますか? 魂の渇きを感じる人は幸いです。誰でもイエス様のもとに行きましょう。一時的ではなく、永遠の命に至る本当の満たしを受けます。
<思い巡らしてみましょう>
渇きはありますか? どこにいやしを求めていますか? 主イエスを求めましょう。