伝統的プロテスタント信仰に根づく教会です

 ルカによる福音書22章39~53節                         

今週は受難週です。イエス様の十字架の苦しみと、それによって私たちが罪を赦され、救われていることを覚える時を過ごしましょう。

1.父よ、この杯を

 今日の聖書の個所は、十字架を直前にしたイエス様が、ゲツセマネと呼ばれる公園で神様に祈る姿が記されています。特に42節に書かれたイエス様の祈りの言葉に注目してみましょう。

 まず、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と祈りました。ここで言う「杯」とは、神様の怒りが注がれるもののことを指しています。つまり、これからイエス様が十字架で神様の怒りを受けて死なれることを意味しています。この十字架で、本来は私たちが受けるべき罪の裁きを、イエス様は代わりに受けてくださいました。特に「父よ」と親しく呼びかけていた神様から見捨てられ、孤独に打ち捨てられて死ぬことは、神様を信じて従わない生き方の本来の結末です。イエス様は誰より神様に従う方でしたが、(だからこそ)私たちの身代わりになられました。この十字架の救いを信じて告白する人は、誰でも赦され救われます。

2.私の願いではなく

そんな恐ろしい杯ですから、できれば避けたいとイエス様は祈りました。しかし、そのような当然の願いですら、イエス様は「わたしの願いではなく」と続けて祈りました。別の個所では、イエス様はご自分の名によって願うことを勧めておられますし、事実私たちの祈りの多くは願いかもしれません。ところが、イエス様のこの祈りは、祈りは願いだけではないことを教えています。あなたの願いは何でしょうか。打ち明けて祈りましょう。また、時にその願いを主にゆだねて祈りましょう。

3.御心のままに

 かえってイエス様は「御心のままに行ってください」と神様に祈りました。それは自分の願いや苦しみ以上に、私たちが救われることを求めるほどに、イエス様が私たちを愛しておられるからです。主の愛に応えて、自分の心(願いや気持ち)を祈ることから、今週は一歩踏み出して、主の御心を求めて過ごしてみましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 十字架を覚えましょう。自分の願いをゆだね、御心を求めましょう