マルコによる福音書 15章6~26節
夏休み期間は、「イエス様に出会った異邦人」というテーマでメッセージをしていますが、今日はイエス様が十字架に向かう中で出会った異邦人について共に見ていきたいと思います。
1.総督ピラト
祭司長たちや律法学者たちのたくらみによって、ローマ帝国のユダヤ人総督であるピラトの前に突き出されたイエス様でした。総督ピラトは、祭司長たちのたくらみを知っていながらも、イエス様を裁判の場にだし、審議します。ピラトは、初めからイエス様が無罪であることを知っていました。しかし、ピラトは、群衆の顔色をうかがい、群衆の勢いに流されて、罪のないイエス様を、十字架刑というローマ帝国の極刑にしてしまいます。多くの人の意見が真実ではありません。 “みんなが言うから”といって、間違っていることを知りつつも、その意見にのってしまうことは、はたしていいのでしょうか?
2.沈黙のイエス様
ここではイエス様の対応が印象的です。ピラトの「お前が。ダヤの王なのか?」(2節)に対してイエス様は「それはあなたの言っていることです」(2節)と答え、無実であるのに、祭司長たちの訴えに対して弁明することはありませんでした。イエス様は、預言者たちの語った言葉通りに行動していたからです。
父なる神様が、子なるイエス様に託された約束を成就するため、ご自分のすべてをなげうって、忠実に従ったのです。この姿は、今歩む私たちに大切なことを教えておられます。“神様に従順に従う”姿を身をもって証ししてくださるイエス様は、まさに私たちのお手本です。
3.成し遂げられた神様のご計画
このあと、イエス様は、群衆にののしられ、兵士にひどく侮辱され、十字架につけられます。 しかし、このイエス様の悲劇がなければ、私たちが生まれもつ罪の赦しはありません。極悪人と同じ扱いを受け、強烈な苦しみを自ら背負い、十字架で命を落とされたイエス様。その命の代価によって、私たちは神様に赦され、神の国の住人とされています。それは、預言者たちの言葉通り“救いの成就”を表しているのです。イエス様の勇気は、全人類の救いの成就となったのです。