隅の親石

ルカによる福音書20章9~19節  牧師 鈴木光

イエス様はユダヤの指導者たちの問題点を指摘するため、たとえ話をしました。

1.収穫を納めない人々
たとえ話はこうです。ぶどう園の主人が農夫たちにそれを貸して出かけます。収穫時期が来て、彼らからその実を受け取ろうと僕(しもべ)たちを送りました。ところが、農夫たちは僕たちを次々と袋叩きにして追い返し、最後に送られてきた主人の愛する息子を見ると、彼を亡き者にすれば財産は自分たちのものになると考えて殺害してしまいました。その結果、主人は農夫たちを処刑し、別の人たちにぶどう園を与えることにしました(9~16節)。主人は神様を、農夫たちは歴史上今に至るまでのユダヤの指導者たちを、僕たちは預言者たちを、そして愛する息子はイエス様のことをたとえています。では「収穫」とは何でしょうか? それは神様の国に相応しい実です。神様と向き合い、従って歩み、与えられる祝福です。また、主と共に歩むにしたがって、その人の内に実っていく、「愛や喜び、平和、寛容、親切」などなど、主の性質を反映する霊の結ぶ実です(参照 ガラテヤ5:22~23)。その祝福も実もただ人のためにあるのではなく、主にささげるためにあるものです。

2.代わりに与えられた「ほかの人たち」
愛するイエス様が犠牲となってから、神の国は民族や人種などあらゆる人間による区分を超えて、「ほかの人たち(16節)」に与えられることになりました。それはイエス様を信じてついていく者すべてです。誰でも信仰によってこの約束を受け取ることができます。もちろん、あなたもです。

3.隅の親石
イエス様はそのことを、ご自分を「隅の親石(17節)」と呼ぶことで表現しました。「隅の親石(cornerstone)」とは、石積みの建物の土台の中で最も重要な基礎となる石です。この石を基準として、他のすべての石は据えられていきます。建物全体像がこの石によって決まるのです。これまでの指導者たちが要らないと言って投げ捨てたイエス様が、実に私たちの隅の親石なのです。ですから、私たちに与えられている生き方は、イエス様は倣って歩むことです。逆にイエス様につまずいて離れたり、終わりまで拒み続ける時に、私たちは砕かれたり、つぶれてしまったりします(18節)。頑なさを捨て、その後を歩みましょう。

<思い巡らし>
良い実を主に/私たちに与えられた神様の国/イエス様に倣って