特別に創られた私

創世記2章4~25節  牧師 鈴木光

創世記から私たちがどのような存在として造られたのかを見ていきましょう。

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1.霊ある者として
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった(7節)」とあります。私たちの心も体も(他の動物と同じく)地に属するものとして造られていますが、一つ、そして大きく動物と違うのは、神様によって命の息(霊とも訳す)が吹き入れられて生きる者となったということです。神様によって霊を吹き込まれ、神様と直接関わることのできるものとして私たちは特別に創造されています。それは、三位一体の神様と同じあり方に「かたどって(1:26)」造られたということです。人は能力や立場で人を互いに評価しますが、まず神様は私たちを存在そのものとして価値あるものとして造られていることを知ることが必要です。

2.働く祝福
続いて「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされ(15節)」ました。元々、人は神様から使命を与えられ、この世界で働き生きることを祝福であり恵みとして与えられていました。しかし、私たちがしばしば働くことに苦しみを感じるのは、神様との関係が壊れ、本来の人のあり方が呪われてしまったからです(詳しくは次週3章)。神様との関係を回復し、本来与えられた祝福の生き方を、賜物を生かして取り戻しましょう。

3.愛の関係に生きる者として
エデンの園に置かれた「善悪の知識の木」からは実を食べてはならないと、アダムは神様から約束を与えられました。最初から木がなければ良いのでは、と考える人もいますが、それでは神様と人の関係は支配と強制の関係になり、神様の望む愛の関係にならないのです。むしろ、自ら神様を選んでくれることを主は望みました。あなたの造り主である主を主としていきることを選びましょう。

4.助け合う者として
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう(18節)」と言って、主はエバを造りました。人は助け合い、共に生きる者として造られています。主のもとで与えられた愛の関係を、人と人との中でも生きる者になりましょう。

<思い巡らし>
神の似姿/与えられた生き方/自由の中で主を選んで/助け合って