歴史を動かす御手

エレミヤ書43章8~13節  牧師 鈴木光

神様の命じることを無視して、バビロンから逃れるべくエジプトに行ったユダヤの人々に、神様がエレミヤをとおしてメッセージを伝えます。

1.歴史を動かす御手
そのメッセージは変わった「アクション付き」でした。すなわち、エレミヤは神様に言われて、エジプトの要衝タフパンフェスの王の家で、入り口に「大きな石」を埋めました。そして、この石の上に攻めてくるバビロン王のネブカドネツァルが陣を張って王座を置く、と告げたのです(8~10節)。
バビロンもエジプトも当時の最大最強の二大国家です。しかし、その王をも神様は「わたしの僕(しもべ)」と呼びました(10節)。
主は創造主の神様ですから、何ものもこの方に比べることはできません。いわば王の王であり、歴史をもその手の中においておられます。人の視点はどうしても見えるものだけにとらわれますが、すべてを統べ治められる主にまず畏れを持って目を向けましょう。

2.人や権力に頼る前に
続けて主はネブカドネツァルが「エジプトを撃ち」、「安らかに引き揚げて行く」と予告します(11~12節)。ユダヤの人々はエジプトに身を寄せれば安心だと考えていましたが、実際はまったくそうではなかったのです。
人の目に強そうだと見えるものに「まず」頼ろうとしてはいけません。

3.立つべき石の上
では、頼るべきはなんでしょうか。
続く言葉でエレミヤをとおして主はエジプトで崇められる太陽神や偶像の神々も、ネブカドネツァルに壊されることを伝えます(13節)。注目したいのは、人々が土台にしていたこの神々が、最初に出てきた「大きな石(9節)」に象徴されていることです。実はこの大きな石は複数形の言葉です。ネブカドネツァルも人々も、主ではなく、彼らが思い思いに決めた神様ではないもの(偶像)の上によって立っていました。しかし、聖書が教える唯一の立つべき石は別にあります。
それはもちろん、イエスキリストです(ルカ20:17~18)。そして、そのイエスキリストを信じて告白すること(マタイ16:16~18)、さらにその御言葉を聞いて従うこと(同7:24~27)こそ、岩の上に立って生きることなのです。

<思い巡らし>
真の主に目を向けよう/何に頼る?/イエス様、信仰告白、御言葉