らくだは楽だ
ルカによる福音書18章18~30節 牧師 鈴木光
イエス様に「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるか」と質問をしてきた人がいました。救われて天国に行くにはどうすればという核心的な問いです。
1.「何をすれば」ではない
実はこの質問は前提が間違っています。イエス様はそのことを気づかせるために対話を続けます。十戒や聖書の教えを知っているでしょう(それを実行してみたらどう)とイエス様が言うと、彼は全部守ってきたと答えます(ご立派!)。そこでイエス様は財産をすべて貧しい人に分けて自分に従うように言いました。しかし、彼は金持ちだったのでそれを受け容れることはできずに悲しみました(18~23節)。
彼は真面目で「善い人」だったと思います。しかし、完全に善い方は神様だけで(19節)、その神様の国の基準で完全な善い人になるのは無理なことなのです。何か善い行いをすることによって、あるいは「いい人」と言われることで天国に入るものではない、とイエス様は教えています。
2.立場や環境、人の評価によらない
イエス様は続けて「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言われました(25節)。イエス様らしい面白い表現ですが、らくだが針の穴を通るのは現実には(トンチや謎々でなければ)無理です。では「金持ち」という立場や環境が妨げなのでしょうか。逆に貧しい人や、この世で憂き目に合う人が条件をクリアするのでしょうか。どちらも違います。
当時の人々は金持ちであることは神様の祝福だと考えていましたから、このイエス様の言葉を聞いて一様に驚きました(26節)。神様に祝福されているように見えてもダメなの!?と。立場や環境、人の評価に次第で天国に入るものでもない、とイエス様は教えています。同時に、自分は○○だから無理だなという人もいません。全員がこの話の当事者です。
3.らくだは楽だ
では結局「だれが救われるのだろうか(26節)」。イエス様の答えは「人間にはできないことも、神にはできる(27節)」です。つまり、イエス様が十字架で私たちの完全じゃないところをすべて赦し、聖なる者としてくださるので、それを私たちは信じて受け取るだけなのです。人間には不可能ならくだを針に通すことも、神様にはできます。私たちはイエス様を心から信じて通るだけです。
<思い巡らし>
行いによるのではない/立場や環境でもない/イエス様を信じて



