待てず、省みず、従わず
エレミヤ書41章16~42章10節、42章18節~43章4節 牧師 鈴木光
ユダ王国の滅亡後、バビロニアは残された民の指導者としてゲダルヤを総督に任じます。ところが、周辺国の王が潜ませていた刺客にゲダルヤは暗殺されてしまいます。バビロニアの報復を恐れた民はエジプトに逃げようとしますが、まずエレミヤのもとにきて神様の御心に従いたいから教えて欲しい、と尋ねました。
しかし、実際に神様から、ユダの地に留まるように言われると、彼らは聞き入れませんでした。今日は反面教師的に、神様の御言葉に従うことを学びましょう。。
1.待てない人々
エレミヤに神様の御言葉を取り次いで欲しいと人々がたずねて来てから「十日たって(42:7)」、神様の御言葉がエレミヤに与えられました。わずか十日ですが、人々にとっては長かったのかもしれません。彼らはすっかりエジプト行きを心に決めていて、主の御言葉を信じませんでした。
神様に聞いて従おうと決めたのならば、こちらの都合に合わせて聞くのではなく、まず神様の御言葉を「待つ」ことが大切です。
2.反省しない人々
人々はエレミヤを通して、この地に残れば「バビロンの王もあなたたちに憐れみを示して、この土地に住むことを許す(42:12)」と伝え、逆にエジプトに行けば「すべて剣、飢饉、疫病で死ぬ(同17)」とはっきり聞きました。このメッセージは王国滅亡の直前にゼデキヤ王が、降伏すれば助かり、そうしなければ滅びる、と聞きながら決断せずに滅んでしまった出来事(38章)を連想させます。
人々はまさに自分たちの体験として、神様に従わずに滅びるということを知っていながら、今回も与えられた救いの選択肢を拒否しました。神様の御業を見ても拒み続けるならば、最終的には滅びにいたるものです。主が語りかけておられる時に信じることが必要です。
3.従わない人々
結論として人々は「あなたの言っていることは偽りだ(43:2)」と言って、神様の御言葉に従いませんでした。元々彼らはエジプト行きを考えていて、エレミヤが彼らの願う答えを言ってくれると期待していたのでしょう。御言葉は自分の考えに合うものを選ぶためにあるのではありません。自分の思いに合っても合わなくても、聞いて従うためにあるのです。今日も語りかける主の言葉に聞いて従いましょう。
<思い巡らし>
神様の言葉を待とう/主を感じたら信じよう/願望によらず従おう



