鎖を解かれたなら
エレミヤ書章40章1~6節 牧師 綿引久美子
エルサレムは陥落し、多くの民が鎖につながれバビロニアへ連れていかれます。
1.これまでのエレミヤ(1~3節)
神様は、ユダの人々から離れます。神様の沈黙の時代の始まりです。エルサレムは陥落しバビロンに占領され、多くの人々は、捕囚となりバビロンへ連れていかれます。鎖でつながれた捕囚の民の中に、エレミヤはいました。これまでエレミヤは神様の言葉を民に語り続けてきました。神様に立ち帰るようにずっと言い続けてきたのです。そしていよいよ終わりの時が近づいた時には、バビロンの捕囚となってとにかく生きよと人々に訴え続けるのです。それをバビロンから遣わされた親衛隊の長であるネブザルアダンも知っていました。人々がバビロンに連れていかれるその中で、エレミヤは、ラマで解放されます。鎖は解かれるのです。
2.鎖を解かれたエレミヤ(4節)
なぜエレミヤは、ここで鎖を解かれたのか?表向けは、バビロンの捕囚となることを勧めるのなら、それはバビロンにとっては味方のように思ってしまうかもしれません。神様は全地全能の神、すべてを治め、すべてにも力は及びます。敵陣と思われるものまでも用いて御心はなされるのです。バビロンの親衛隊の長は、エレミヤの鎖を解いて、捕囚の民から解放します。エレミヤに与えられたもの、それは自由に選択することです。エレミヤの行きたいところに言って構わないと親衛隊の長はエレミヤに告げます。これは、主からエレミヤに語られた言葉です。神様に従い歩むその先に自由があります。
3.置かれた場所はエルサレム(5~6節)
自由を与えられたエレミヤは、自ら動かず親衛隊の長の言葉の通りに従いました。ミッパのゲルタヤのもとに行き、残りの民と呼ばれる後にこの地を受け継ぐ貧しいものたちと共に生きるのです。エレミヤは、食事など必要なものはすべて与えられた上で釈放されました。生きることが守られる所に神様はエレミヤを置いたのです。
エレミヤは、折りが良い時も悪い時も、神様の言葉を忠実に取り次ぎ、身の危険にさらされても神様の言葉を取り次ぐことをやめず語り続けました。私たちが、この地で生きる限りイエス様の証し続け、御言葉に生きるなら、苦しみの鎖は解放され、もはや死も悲しみもない地(黙示録21:4)へ続いていきます。地上では、信仰にあっての苦難もあります。時には、生きづらさを覚えるかもしれません。しかし、未来への希望と永遠の命に目を留めて人生を歩みたいと思います。



