正しい裁きは誰に下るか

ルカによる福音書18章1~8節  牧師 鈴木光

イエス様がたとえ話を用いて教えます。

1.気を落とさず絶えず祈ること
こんなたとえです。神を畏れず人を人とも思わない、ろくでもない裁判官がいます。そこに不当な扱いを受けているやもめが訴えを起こしますが、取り合われません。しかし、このやもめがあまりにもしつこく訴えるので、裁判官も音を上げて裁判をしてあげることにしました(1~5節)。
イエス様の多くのたとえ話は、たとえられているものが何かを考えていくことが理解の近道ですが、今回はろくでなしの裁判官と神様を同一視はできないので少し混乱するかもしれません。ポイントはイエス様がこのたとえを説明して言っているひと言にあります。それは「まして神は」という言葉です(7節)。
そもそもこのたとえは、「気を落とさずに絶えず祈ることを教えるため」にイエス様は語られました。言いたいことは、ろくでなしの裁判官ですらあきらめずに訴え続ければ聞いてくれるのだから、「まして」愛の神様は従う者たちのために必ず祈りに応えてくださる、ということです。あきらめず絶えず祈りましょう。

2.再臨と正しい裁きを望み続けること
では「何を」あきらめずに祈るのでしょうか。イエス様は明確に「言っておくが、神は速やかに裁いてくださる(8節)」と言って、ご自分が再び世の終わりに地上に来て(再臨)、すべての人の裁きの時があるということについて話しているのです。
この再臨と裁きのメッセージは、クリスチャンにとって大きな励ましと希望の約束です。初代教会の人々は苛烈な迫害の中で、なおこの約束を信じて歩みぬきました。この世界に完全なものはなく、私たちが信じて歩むなら、必ず悲しみや苦しみもあります。しかし、今も約束は変わりません。神様に希望を持って諦めずに歩み続ける者になりましょう。

3.正しい裁きは誰に下るか
「しかし、人の子(イエス様)が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか(8節)」と最後にイエス様は言います。「この世界はダメだな」という時、私たちは自分もその中に含まれていることを謙遜に受けとめる必要があります。しかし、裁きはイエス様が受けてくださったので、ダメなのに大丈夫なのです。謙遜に、イエス様の愛と赦しを受け取って、また伝えながら歩んでいきましょう。

<思い巡らし>
あきらめず祈る/再臨と裁きに希望を持つ/謙遜に赦しを受け取る