神の言葉は永遠に立つ
イザヤ書40章1~11節 牧師 鈴木光
アドベント(待降節)に入りました。あらためて私たちの救い主のイエス様を迎えてこのシーズンを過ごしましょう。イザヤ書はイエス様が来られるよりずっと昔に語れた神様からのメッセージ(預言)ですが、救い主が来られるという約束がたくさん語られています。そして今や私たちはその救い主のイエス様が与えられています。
1.備えて迎える
救い主を迎えるにあたって、まずは荒れ野で呼び掛ける声があると言います。それは救い主を迎えるために、谷を起こし、山を低くし、平らで広い道を準備しなさいと告げる声です(3~5節)。
福音書を見れば、この「声」はイエス様に先立って活動をはじめ、まさにこの預言のとおり、人々に呼びかけた洗礼者ヨハネのことであると分かります。ヨハネは言います。「悔い改めよ。天の国は近づいた(マタイ3:2)」 私たちもこの時、心と生き方を振り返り、そのデコボコを神様の前に素直に打ち明けて、自分の前に広い道をとおしてイエス様を主として自分の内にお迎えしましょう。
2.永遠の方を迎える
続けて呼びかけられるのは、「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」というメッセージです(6~8節)。
この世界も私たち一人一人もうつろいやすく、はかないものです。権力もうつろい、時代も変わります。その中でなおさら一人一人の存在は小さく取るに足らないと感じることがあります。しかし、わたしたちの神の言葉は永遠のものです。
「神の言葉」という表現は、イエス様ご自身が永遠の主が人となられたその方であることを示しています(ヨハネ1:1)。私たちには揺らぐことのない、確かな頼るべき方が与えられています。この方をお迎えするのです。
3.羊飼いと良い知らせを告げる
また、この良い知らせを、力をふるって皆に告げるようにと語られています(9節)。このクリスマスシーズンにもイエス様の福音を分かち合いましょう。
最後にイエス様が私たちにとって羊飼いのような方だと語られます(11節)。私たちは良い知らせを持って遣わされますが、その行く先はあなた一人ではなく、遣わすイエス様ご自身が共にいて、また導いてくださるのです。
<思い巡らし>
デコボコを平らにして迎える/永遠の頼るべき方を迎える/お迎えする主は共にいてくださる羊飼い



