泥にまみれて
エレミヤ書38章1~13節 牧師 鈴木光
預言者エレミヤは滅亡寸前の王国でも、神様からのメッセージを語り続けます。
1.語り続けられる愛と憐れみの御言葉
エレミヤをとおして神様が語られたのは、このまま「都に留まる者」は死ぬことになり、「出て…投降する者」は命が助かるが、国が滅びるのは避けられないということでした(2~3節)。一見すると厳しい裁きに見えますが、実際は神様の驚くべき愛と憐れみの言葉です。
これまでエレミヤをはじめ多くの預言者たちが、数えきれないほど何度も悔い改めて神様に立ち帰るようにと呼びかけても無視してきた結果、国は滅びますが、それにも関わらず未だに神様は人々が生きるようにと最後の最後まで呼びかけているのです。神様の御心は罪人が滅びることではなく立ち帰って生きることです。それは今もなお変わることがありません。神様から離れて生きている者は今、主のもとに来て共に生きるものになりましょう。
2.入れ違う平和と災い
メッセージを聞いた国の「役人たち(権力者たち)」は、士気がさがるからエレミヤを死刑にしろと王に迫ります。彼らはエレミヤが「この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです(4節)」と言います。しかし、現実はまったく逆で彼らこそが神様の与えようとしている平和と命を拒み続けて、災いを招いたのでした。この逆転現象の原因は、何に心を向け、耳を傾けているかの違いです。エレミヤは常に主に心を向けて、御言葉に耳を傾けました。一方で権力者たちは自分の願望に心を向けて、自分たちの欲望に耳を傾けてきました。人の欲望を実現するために神がいると考えることこそ聖書の語る偶像礼拝の本質です。神様は道具ではなく、生きておられ、あなたと共に生きることを望んでいる方です。
3.泥にまみれても
エレミヤは役人たちの手によって、水溜めの泥の中に落とされます。しかし、神様はエチオピア人のエベド・メレクを遣わして救出します。こうしてエレミヤの王国滅亡前の最後の預言活動は終わります。彼は泥にまみれても語りぬきました。それは、彼が最初に与えられた神様からの召しと約束(必ず共にいて守るから恐れず語り続えよという内容・1章4~8節参照)を信頼して従ったからでした。私たちにも神様が与えている命の意義があります。主に応えて生きる者になりましょう。
<思い巡らし>
立ち帰って生きよとの呼びかけ/自分の欲望でなく/主に応える



