畏れ知らずの恐ろしさ
エレミヤ書36章1~10節、16~18節 牧師 鈴木光
神様の御言葉を聞いて伝える仕事の「預言者」であるエレミヤが、書記官バルクの力を借りてこれまで語られてきたことを文書にまとめ、人々に改めて聞かせます。
1.聞きたいことだけ聞きたい人
エレミヤを通しての神様の言葉を聞いた人々は、それを真剣に「おののいて(16節)」受けとめました。しかし、国の王であるヨヤキムもその側近たちもそれを侮り、「ナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった(23節)」のです。
語られたことは王にとっては耳が痛く、聞きたくない言葉が多くありました。これまでの自分たちのあり方を悔い改め、神様に立ち帰ることをもとめられているからです。だから焼き捨ててしまいました。しかし、神様は私たちの聞きたいことだけを語るのではありません。聞きたいことだけ聞くのではなく、たとえ自分に都合の良い言葉でなくとも(むしろだからこそ)真剣に聖書の御言葉に聞くべきです。
2.畏れ知らずの恐ろしさ
「このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こう(嘆きの表現)ともしなかった(24節)」と言います。
彼らの本質的な問題は、神様を「畏れる」ことを知らないことです。主が本当におられ、すべてを治める主であること本気で信じてはいない不信仰でもあります。
箴言には「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る(1:7)」とあります。ヨヤキム王は侮り、実際にバビロンに囚われていくという結果を得ることになります。謙遜に、主を畏れて聞き従うものになりましょう。
3.御言葉は永遠
焼き捨てられた御言葉でしたが、神様は信仰ある者たちを用いてエレミヤとバルクを守り、あらためて御言葉は書き記されました。そして、それを今、私たちはまさに読んでいます。
御言葉を切り裂き焼いたヨヤキム王は王座を失い囚われましたが、聖書の神様の言葉は今もなお生きています。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40:8)」のです。この永遠の主が語られる約束と愛の福音を信じて歩みましょう。
<思い巡らし>
聞きたいことだけ聞くのでなく/主を畏れているか/御言葉は永遠



