死に打ち勝つ主

詩編13篇1~6節  牧師 鈴木光

永眠者記念礼拝です。ダビデの祈りから信仰による生き方、死のとらえ方、そして救いの喜びについて思い巡らしましょう。

1.「いつまで」を共に歩む主
はじめにダビデは人生の様々な苦しみについて「いつまで」それが続くのかと、神様に祈っています(1~3節)。神様が答えてくれないように感じる時、思い煩うことや、「日々の」嘆きが心を去らない時、そして敵が自分を責め誇る時、「いつまで!」と神様に訴えて祈りました。
ダビデの生涯を振り返ってみると、実に苦労の多い歩みでした。一方で、その苦労を乗り越えた先でダビデはそのことにはもう触れません。つまり、この祈りは「苦しみの真っただ中でこそ」祈り続けていたダビデの祈りの言葉そのものだということです。私たちの信仰は、苦しみ自体も最終的には解決が与えられるけれども、それ以上に「いつまで!」という苦難の中をも、主が一緒に歩んでくださるということこそが恵みなのです。

2.死に打ち勝つ主
続けて、自分を死の眠りに渡さないで欲しいとダビデは祈ります。それは単なる死への恐れの話ではなく、「敵」がそのことで自分が動揺することを見て喜ぶことがないようにだと言っています(4~5節)。
神様に信頼することを(つまり信仰を)揺るがせようと、死をもって脅す「敵」とは悪魔の働きにほかなりません。しかし、私たちはむしろ信仰によって死に対しても揺らぐことなく立つことができます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3:16)」と聖書は約束しています。
イエス様を信じる者は地上の旅路を終えても滅びることがありません。天国の永遠の命にうつされる、ひとときの眠りに過ぎません。信仰に堅く立ちましょう。

3.愛による救い
終わりにダビデは喜びを歌います。その喜びの土台は主の「慈しみ」により頼むことだと言います(6節)。旧約における慈しみとは新約でいう所の「愛」や「恵み」にあたる言葉です。私たちに与えられた共にいてくださることや、命の約束は、神様の私たちへの愛のしるしです。この愛の喜びのうちを歩みましょう。

<思い巡らし>
いつまで、を共に歩む主/永遠の約束/愛によって与えられる救い