神に従う罪人

ルカによる福音書16章1~13節  牧師 綿引久美子

イエス様のたとえ話は続きます。「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」に続いての「不正な管理人」の話です。

1.不正な行い問題(1~4節)
主人から任せられていたお金を無駄遣いしてしまった管理人の話です。そのことが主人の耳に入り、解雇になることを悟った管理人は、主人に負債のある人達の請求書を、不正に書き換え、大幅な減額をして徴収するという行動に出ます。不正をした管理人が、さらに不正を犯して、自分を救ってくれる友達を作るのです。ここで主人は驚きの行動に出ます。抜け目のないやり方で助け手を作ろうとしたその管理人をほめるのです。ここに『神の国の奥義』が隠されています。

2.友達を作る問題(9節)
人は一人では生きていけません。必ず他者と関わって生きていくのです。その中で親しさの増す近い距離関係になる「友達」を作ります。どのような理由で友達を作るのか?イエス様はここで一つ友達を作る目的をはっきり提示しました。自分が生きるすべが無くなった時、『永遠の住まい』に迎え入れてくれる友達を作りなさいということです。一気に神の国が近づきます。『永遠の住まい』に迎え入れてくれる友達とは誰ですか?イエス様ご自身です。神様と「友達」のように親しくなることが、私たちの救いの道になることだと教えてくれています。

3. 愛の問題(13節)
なぜここまでたとえ話を重ねてきたのか?神の国では「友達」になるための必用不可欠なものは『愛』だからです。不正を犯すことは、私たちの現在住んでいる「この世」には溢れています。自分を守るために、他者を犠牲にしていることに気づかずに生活するのが人間の姿かもしれません。とても自分の力で、永遠の住まいは手に入れられないのです。不正を犯した管理人は、人生は自分の力だけでは生きていけないことを知っていました。まして『永遠に生きる』なら絶対無理な話です。だから不正を行っても、「生きること」をあきらめず、自分の人生を救ってくれる人を探して、不正を行っても生きようとしたのです。この世のルールで見るならば、神の御子であるイエス様は、私たち不正を犯した者(罪人)に生きるために友達になってくださっています。私たちを救うために、これほど熱意をもって親しさをもって近づいてくれる友達がいるでしょうか?お気づきですか?永遠の住まいに迎え入れてくれる友達は、イエス様です。このことは神の国では、『愛』と言います。『神の国』の見方は、この世の見方では理解されないことがあります。『神の愛』が偉大過ぎるからです。
~永遠に生きるための友達を作ってください。~