真剣に聞き従うこと

エレミヤ書 35章1~19節  牧師 鈴木光

神様に聞き従わないユダヤの民を諭すために、神様はエレミヤをとおしてレカブ人という異邦人の一族を神殿に呼び、ぶどう酒を飲むように勧めます。

1.真剣に聞き従うこと
レカブ人はユダヤ民族ではなく、モーセの義理の家族の一族としてイスラエルの土地にやって来た人々です。しかし、民族は違っても神様を畏れ敬い、かえって偶像礼拝を強く退けてきた人々でした(参考・列王記下10:15~23)。
そのレカブ人にぶどう酒を勧めると、彼らは「我々はぶどう酒を飲みません。父祖レカブの子ヨナダブが(飲むなと)命じたからです(6節)」と答えました。
実に彼らは200年間も一度言われた教えを真剣に守り続けてきたのです。しかもそれは、神様から与えられた十戒の教えとのつながりの中で(7節)、信仰に根差して守られてきました。

2.意志をもって従うこと
しかも、レカブ人たちは単に祖先に言われたからとか、伝統になったからという理由で、妄信的にそれを行ってきたわけではありません。同じく言い伝えられている遊牧民を続けなさいという教えに関しては、敵から非難するために一時的にエルサレムに避難すること(だから今、神殿に来られた)を考えて決断しました(8~11節)。状況が改善すればまた元の教えの生き方に戻るでしょう。
レカブ人たちが思考停止で伝統に従ったのではなく、むしろ知恵を尽くし、力を尽くして聞き従ったのとは対照的に、ユダヤの人々は形式的には神様に従うふうで、実際は何度言われても言うことに聞き従うことはありませんでした。そのことを神様はレカブ人の姿をとおして語っています(13~14節)。
意志をもって真剣に神様に聞き従うレカブ人の姿に倣いましょう

3.主の前に立つ恵み、聞き・守り・行うこと
そんなレカブ人の姿勢を神様は祝福して、彼らの中から「わたしの前に立って仕える者がいつまでも絶えることがない(19節)」と言われました。神様の前に立つことは民族に寄らず、私たち一人一人に呼びかけられている恵みです。
神様の言葉を「聞き(従い)」、さまざまな信仰的な戦いがあってもそれを「守り、そして実際に「行う」生き方をしていきましょう(18節)。

<思い巡らし>
神様の言葉に、真剣に/意志をもって/聞き従い、守り、行おう