涙の決断

エレミヤ書34章8~22節  牧師 綿引久美子

神様は、最終決断をくだします。エルサレムの崩壊が決定的になります。

1.地上の出来事と神様のご計画(21~22節)
地上の出来事としては、イスラエル(南ユダ)は、強国であるエジプトとバビロンの両国どちらに対してもその時々でいい顔をしていました。国内でも、バビロン側とアンチバビロン(エジプト)側とに二分していました。そんな中、国内でアンチバビロン側に押されて、バビロンに反乱を起こし、エジプト側と手を組もうとします。そのことが原因で、バビロンがイスラエルを侵略し、その結果エルサレムは滅ぼされ、人々は捕囚の民となり、バビロンへ連れていかれます。
神様は、ご自分の民をご自身と共に歩むように道を正そうと、何度も警告し、何度も立ち帰ることを待っておられました。しかし、民はどんどん神様を裏切り、地上の強豪国と共に生きようとします。神様は、それでも民を愛し、諦めが尽きません。しかし、一度リセットしようと御心を決めるのです。

2.人の弱さ(15~16節)
イスラエルは苦境に立たされました。そこで神様に立ち帰り、律法に基づいた同胞の奴隷の解放を神様の御前で契約します。この契約は、神様の喜ばれることでした。イスラエルの人々は、契約通り、奴隷を解放しました。しかし、バビロンが一時エルサレムから離れると、再び奴隷を連れ戻し、働かせるのです。またしても神様との約束を破るのです。私たちは、神様を信じ心では従いたいと思っています。しかし、肉の弱さももっています。自分で望む善を行うことができず、望まない悪を行うのです。五体の内にある罪の法則の虜になってしまう惨めな弱さと共に生きているのです。神様に背いてしまう内在する罪があるのです。(ローマ7:24~25)

3. 神様の涙の決断(17節,22節)
神様は愛です。(Ⅰヨハネ4:10)神様は神であり、人ではないからこそ私たちがどのようであっても、怒りをもって望みはしないのです。(ホセア11:8~9)神様の『怒り』涙の怒りです。服を引き裂く怒りではなく、忍耐に忍耐を重ねそれでも忍耐する涙の怒りです。熱烈な思いのつまった、人に対しての片思いの怒りなのです。神様は、決して滅びさせることを選びませんでした。バビロンの捕囚という形で、私たちが神様の命に生きるための整えをしたのです。一度リセットするため、エルサレムを滅ぼし、私たちが神様の見捨てられたと感じる一時を過ごし、神様と人の関係を見直すために、バビロンの捕囚としての時間を作ったのです。愛してやまない神様に似せて創った人という被造物を一時手放し沈黙するという涙の決断をしたのです。

神様の『愛』は、人の理解できないほど重いです。この愛のゆえに、私たちは救われているのです。感じてください。神の愛を・・・。