公平と正義のある平和

エレミヤ書33章1~18節  牧師 鈴木光

間もなく滅びようとしているユダの国で、牢獄に捕らわれている預言者エレミヤに神様の言葉が語られます。それは滅びの先の回復の約束、特に平和をもたらすという神様の約束の言葉でした。

1.生き生きとした命の平和
滅んだ都に、やがて神様が「いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す(6節)」と語られます。
「いやしと治癒と回復」という言葉は元の言葉をたどると、長く生きる命、健康、癒し、をそれぞれ意味しています。長く生きる、健やかで癒しのある命とは何でしょうか。そんなまことの命について、イエス様はこのように語っています。
「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない(ヨハネ14:27)」
世で言う平和は一時的で部分的なものですが、イエス様は完全で永遠の平和を与えるということです。そして、イエス様の与える長く生きる、健やかで癒しのある命とは、天国につながる永遠の命にほかなりません。
イエス様を信じる者は永遠の命を得る、これがまず第一に語られている平和です。

2.共にいてくださる羊飼いの平和
次に、回復の時には荒れ果てた地に「羊飼いが牧場を持ち、羊の群れを憩わせるようになる(12節)」とエレミヤをとおして神様は語ります。
イエス様は「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる(11節)」と言います。そして、羊飼いのイエス様はその後についていく私たちといつも共にいてくださり、欠けることの内容にしてくださる方です(詩編23篇)。
主が共にいてくださるのは何とか心強く安心なことでしょうか。これこそが第二に示されているイエス様の与えててくださる平和です。

3.公平と正義のある平和
終わりにイエス様が来られる時、イエス様は「公平と正義をもって」神の国を治めるということが語られます(15節)。公平と正義という言葉は別の訳し方をすれば「裁きと義」となります。まさに、イエス様は十字架で私たちの代わりに罪の裁きを受け取って死なれ、私たちと神様の関係を和解させてくれました(義)。もう私たちは裁かれることがない、この神様との和解の約束こそ三つ目の平和です。

<思い巡らし>
永遠の命にある平和/主が共におられる平和/もう裁かれない平和