末席の幸い
ルカによる福音書14章7~14節 牧師 綿引久美子
イエス様は、神の国での理解を、神様を慕い求める人たちに教えます。
1.祝宴の食卓(11節)
イエス様は、安息日にファリサイ派の人のお宅に招かれて食事の席に着きました。そこで、招かれた人たちが、自ら進んで上座(この地の権力者が座る席)に座る姿を目にします。そこで祝宴の席にたとえて、神の国に招かれる人の常識を伝えます。婚宴は、席順にこだわりのある場所です。たいていの場合、招待した側が席順を決めて招いています。好き勝手に自分の座りたいところに座ることは、まずありません。この時点ですでに、だいぶ自分勝手なのに、さらに上座に着くことは、恥ずかしい行為です。
祝宴は、招かれる食卓だと考えれば、そこは救われた私たちが招かれる神の国の食卓とも考えられます。神の国では、一番身分の低い御使いでさえ、人より高いと言われています。末席に着くことは、謙遜な姿であり、神様を知り、自分を知る人の姿であると言えます。イエス様はやがて天国(神の国)での歓迎される姿を教えているのです。
2.普段の食卓(14節)
イエス様は、普段の食卓にたとえて、神の国の招く側の常識を教えます。私たちは、普段の食事は、ある程度関係性のある親しい人たちと一緒の席に着きます。食事は親しさの現れとして、よく目安に使われます。神の国では、食卓に招くのは、本当にその食事を必要な人を招きます。貧しい人や、どこかに不自由があって誰かに助けてもらえないと食事のとれない人を招きます。そうなれば、お食事をごちそうしても、その人からお返しのお礼はないのです。しかし、その人は、どれほどに食事に招いてくれた人に心の中で感謝が溢れるでしょう。これが愛に溢れた真の恵みであって、これこそ真の栄誉なのです。この人にしたことの報酬は、やがて天国(神の国)へ住むようになる時、神様思いがけない栄誉と祝福をいただくことになります。
3.末席の幸い(10節)
自ら下座に着くことは、すべての人が自分より優れていることになります。(ローマ12:10)末席に着くことは、その人が真の謙遜と神の国での栄誉に値する人であることをイエス様はここで教えています。聖書には特に真の謙遜について多く記されています。山上の垂訓では(マタイ5:3)冒頭に『心の貧しい人』と記されます。謙遜な人は、自分の貧しさや至らなさを知っている人です。そして、何よりイエス様自身が、神の身分でありながら、そこに固執せず、僕の身分となり人となられた謙遜なお方です。(フィリピ2:6~8)私たちが、真の謙遜を目指すことは、重要であって、神の国の住人としては、栄誉のあることだということを心に留めておくことが大切です。目指すべきは、地上の名声や権力ではなく、神の国の栄光です‼