変えられる勇気

ルカによる福音書13章1~9節  牧師 綿引久美子

『悔い改める』、この言葉にあなたはどのようなイメージを持っていますか?

1.『悔い改める』とは?(3節と5節;同じ言葉)
2つの出来事に対して、イエス様は『決してそうではない』と群衆の解釈の誤りを正しました。そして『悔い改めなければ、みな同じように滅びる』と教えられたのです。『悔い改める』とは、自分の過ちや罪を認めて、深く反省し、再び同じことをしないために心を新たにすることです。「心が新しくなる」ことまで含めたことを意味しています。さらに『滅びる』という言葉が付くと、いのちの問題であることがわかります。いのちの問題は、神様の権威の元で扱われる問題であって、人の手ではどうにもならないものです。『悔い改め』は、神様との関係の回復抜きに始まらないことであり、一人一人と神様の関係の中で起こってくることです。

2.『災難と罪は別問題』(6~7節)
イエス様は、悔い改めることの大切さをこのたとえで話します。イエス様がここで言っておられるのは、災難に遭おうが遭うまいが、悔い改めない人は、「自分に滅びを招く」ということです。ぶどう園の主人と園丁が、いちじくの木を植えて、実がなるまで3年もなったという話です。そもそもここはぶどう園です。ぶどうといちじくは、育て方も収穫の時期も違います。まともに育たないのは想像がつきます。それを3年も待つのです。このいちじくこそが、自分ではどうすることもできない私たちの姿です。神様がどんなに育てても、神様の奇跡的な救済策が行われない限り、人生に豊かな実りはないのです。それどころか無価値なものとして滅んでしまうのです。
私たちの人生の問題として、『悔い改める』ことは重要なことです。

3.神様がくださった猶予期間(8~9節)
3年も実がならないいちじくの木。主人は起こって切ろうとします。しかし、ずっとお世話をして、見守ってきた園丁は、このいちじくの木にあと1年猶予期間をくれるように主人にお願いをします。園丁は、実がなることを期待して待とうとするのです。園丁はイエス様、そして主人は、私たちの罪に怒りを向ける創造主である神様です。イエス様は、エルサレムを目指す道中、弟子達や、ついてくる群衆たちに、『天の国に入る準備』を教えました。その中で『目を覚ましていること』『時を悟ること』『悔い改めること』を教えました。『悔い改めること』は、いのちの問題です。私たちの永遠の生き方を決定するとても重要なことです。私たちの運命を決定する神様のすべてを認めることの大切さをここでは教えています。

*永遠を生きるあなたの人生の問題として、神様と向き合い、悔い改めて、神様と共に生きる新しい私になりましょう。