回復への招き

エレミヤ書30章1~12節  牧師 鈴木光

国が滅び、バビロニア帝国に捕囚として連れていかれたユダヤの人々に、神様がエレミヤをとおして語りかけます。

1.回復の約束
この章からしばらく、滅びと捕囚を招いた人々の罪の問題とその結果について、そしてやがて与えられるその悲惨な結果からの救いについて語られます。それは痛みと苦しみの中を通らざるを得ないのですが、最終的には「回復」に至ります。
主は「見よ、わたしの民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る(3節)」とまず初めに語られました。実際、捕囚に連れて来られたユダヤの人々もやがて神様から与えられた約束の地へ帰還します。
しかし、それはかつてのような繁栄を回復するというほどではありませんでした。むしろ、この回復の約束はイエス様をとおして与えられる神様との関係の回復(そして天の住まいの約束)につながるものでした。

2.奴隷からの解放と新しい王様の約束
やがて来る回復の時、神様は軛(くびき)を砕き、もう奴隷にされることはなく、「神である主と、わたしが立てる王ダビデとに仕えるようになる(8~9節)」と言われます。ダビデ王は有名な王様ですが過去の人物です。では、何を意味しているかと言えば、わざわざダビデの系図の中で生まれ、皮肉にも十字架でユダヤ人の王と呼ばれ、実際はユダヤ人に留まらずすべての人の王様となったイエス様のことを語っています。
イエス様を信じて洗礼を受けた者は「罪の奴隷」から「キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きている」ものとして新たなスタートをきります(ローマ6:6~11)。あなたも新しい生き方に招かれています。

3.正しい懲らしめ
滅亡し、捕囚にあった民に神様は「わたしはお前を正しく懲らしめる。罰せずにおくことは決してない(11節)」と言われます。神様に背き続けた罪の結果の罰を大目に見ると言うのではなく、懲らしめとしての捕囚がありました。神様のこの正しさはいつも変わりません。では、私たちにはどんな懲らしめがあったのでしょうか? それはイエス様が十字架で代わりに受けられたのです。この愛による犠牲の赦しをうやむやにせずにハッキリと受け取りましょう。

<思い巡らし>
神様との関係の回復/罪の奴隷から新しい主のもとへ/十字架の愛