心の目を覚まして
ルカによる福音書12章35~48節 牧師 綿引久美子
『イエス様の再臨の時』に向けて、『目を覚ましていなさい』とイエス様はおっしゃいます。
1.目を覚ましている~イエス様を待つ(35~36節)
『目を覚ましていなさい』という話が続いています(13~21,22~34節)。主人が家に帰ってきた時、目を覚ましているということは、「待っている人」だということです。「待っている人」とは、腰の帯を締めている人,ともし火をともしている人,
目を覚ましている人,注意して、用意する人のことだと言っています。何を待っているのか?それは『イエス様の再臨の時』です。このたとえは、婚礼に出かけた主人の話です。一週間近くかかる婚礼の終わり時間は未定です。帰宅時間も読めません。もしかしたら、真夜中に帰ってくるかもしれないのです。イエス様の再臨もいついらっしゃるのか?私たちにはわかりません。だから「目を覚ましていなさい」とイエス様はおっしゃるのです。
2.目を覚ましている~待つ人は誰?どうする?(41~42節)
このたとえに対してペトロは質問します。『誰に向けて話しているのか?』。話している人はイエス様、そして話す相手は弟子たちです。イエス様は、弟子たちと群衆という言い方をします。イエス様の弟子は、神様が使命を与え、その使命を受けて神様と共に生きる、神様から選ばれた人のことです。教会に集う神の家族であれば、すべての人が弟子に当てはまります。ここでは、神様が使命のために与えた神様の備え(権威や賜物,物質的備えもすべて)をどのように使うかを、神様は見ておられて、ジャッジされることを教えています。自分が何を神様からいただいているのか?神様はあなたに何を期待しておられるのか?あなたはどうその神様の期待に応えているのか?すべてを神様はいつも目に留めておられるのです。神様は常に目を覚まされています。
3.心の目を覚ます(40節)
『主の再臨』は神様の約束です。必ず訪れる私たちの未来です。しかし、実際的に確認することはできません。信じて初めて見えるものです。イエス様の時代の弟子たちは、『再臨』を理解することはできませんでした。しかし、聖霊降臨後、神様の霊によって私たちは知ることができます。そして、その命の希望がどんなに大きなものか偉大な恵みであるかを知るのです。心の目を覚ますことは、『再臨の希望』をいつも心において、一日一日悔いなく生きることです。神様と共にです。辛くても悲しくても『再臨の希望』を仰ぎ生きるなら、共に歩んでくださる神様の温かさを感じながら、自分の未来を照らす光、そして神様から命が与えられて生かされている今のすばらしさを覚えることができるのです。生きていることは神様の最大の祝福と恵みなのです。
『十字架が聖書の心臓であるなら、再臨は聖書の脳髄です』~内村鑑三~