置かれた所に平安を
エレミヤ書29章1~14節 牧師 綿引久美子
エレミヤ書全体の主題的メッセージ、なぜ神の民が捕囚の民となったのか?全貌が明かされています。
1.エレミヤの手紙に隠された意味(1節)
この手紙は、エレミヤが、バビロンの捕囚となった民に向けて、神様の託された言葉を書き記して送ったものです。ここには、神様のご計画が明かされています。そしてそのご計画は、神様を見失った神の民が、再び時間をかけて、神の民へと戻されるための秘策を語っているのです。自分の力で、神様からいただいたいのちを紡ぎ続けることのできない『いのちの泉を失くした民』に、『再びいのちの泉を見出す』生きるための将来への希望の計画を、不安に押しつぶされそうな捕囚のただ中にある揺さぶられる民たちに語ります。
2.神様の計画の全貌(4~7節)
神様のご計画は、驚くものでした。捕囚となったその異国の土地のために、祝福を祈るというのは、人の知恵においては信じがたい神様のご計画でした。しかし、ここに神様が、民に対して神の民へと帰らせるための方法が隠されているのです。70年の間、そこで家庭を築き生活し、子孫を絶やさないこと、つまり生き延びることを勧めます。さらに彼らが平和に暮らすため、置かれたところである捕囚の地が平安であるように、主にとりなして祈ることを神様は求められたのです。
『父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているかわからないのです』と十字架で苦しみの中祈られたイエス様の姿を通して見れば、神様のご計画に隠された想いを感じることができるのではないでしょうか?
3.神の民として、置かれた所で生きるということ(10~14節)
『神様のご計画は、平和のご計画であって、災いのご計画ではない。将来と希望を与えるものである』(11節)神様の慰めと将来の希望を私たちにくださる神様のことばです。神様は、『神様を呼び、祈り求めなさい。私はあなたの祈りを聞くよ。また、わたしを尋ね求め見出すなら、心を尽くしてわたしを求めるなら、神様と出会う』と宣言してくださいました。神様が私たちに与えた究極の目的は『捕囚の地で神様を見つける』ことです。見えない神そして沈黙の神に思えてしまいそうなその場所で、神様を見出すのです。そして、生きる希望を主に抱くのです。『万軍の主』(8節)は、勝利の主、そして生ける神様であって、私たちの『いのちの源』なのです。
生きよ!!と神様は私たちに言い続けます。そして、光の子として、この地に神様の救いと平安がもたらされるように、私たちは置かれた所で神様の平安を祈るのです。