偽りの安心

エレミヤ書28章1~17節  牧師 鈴木光

エレミヤが神様のメッセージを語ったのに対して、偽預言者のハナンヤがそれを否定するメッセージを語りだします。

1.人のためではなく、主の言葉をまず聞く
前回エレミヤは神様に命じられたとおり、軛(くびき・牛などの首につけて農具をひかせる道具)を自分の首につけ、バビロン王の支配下に降るようにという神様のメッセージを伝えました。それは、神様に背き続けてどうにもならなくなった人々が悔い改めて神様との関係を回復するのに必要なプロセスへの呼びかけでした。
しかし、ハナンヤはその軛をはずして砕くパフォーマンスをしながら、神様が二年でバビロン王の軛を砕いてくれると人々の前でエレミヤに語りました。
エレミヤは立ち去りますが、その後、神様はエレミヤをとおしてハナンヤにメッセージを伝えます。それは「主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ(15節)」というものでした。
「人の為」と書いて「偽り」とはよく言ったもので、人のためが最優先ではなく、神様の言葉をまず聞くことが必要です。

2.人のために神様を利用しない
偽預言者ハナンヤはパフォーマンスを繰り広げて、おそらくいい気になっていたでしょう。しかし、彼の行動を主は次のように戒めます。「お前は木の軛を打ち砕いたが、その代わりに、鉄の軛を作った(13節)」
人のためにと言って神様を利用して語ったハナンヤの行動は、悔い改めと回復のための一時の苦難を砕いて、もっと悲惨な結末に人々を向けてしまいました。
私たちは人のためにといって神様を利用してはいけません。なぜなら、神様は私たちよりもっとその人の最善を考えておられるからです。

3.時間のかかるプロセスを大切に
エレミヤはハナンヤの偽メッセージ聞き、「アーメン、どうか主がそのとおりにしてくださるように(6節)…だが(実際は違う)」と応じました。人の願いは楽なこと、インスタントで簡単なことでしょう。しかし、聖書の語るメッセージは悔い改めと聖なる歩みを伴います。今、私たちは「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい(マタイ11:29)」と言ってイエス様と共に歩む生き方に招かれています。招きに応えてイエス様と共に歩むときに本当の平安と変化が訪れます。

<思い巡らし>
人のため、が最優先ではない/神様に聞くこと/イエス様と歩むこと