命の軛
エレミヤ書27章1~22節 牧師 鈴木光
エレミヤをとおして、神様が最後の王ゼデキヤと人々に語りかけます。
1.まだましな方の軛(くびき)
神様はエレミヤに「軛の横木と綱を作って、あなたの首にはめよ(2節)」と言います。軛は牛などを2頭以上並べて首にかけ、農具をひかせるための器具です。
軛をつけたエレミヤが語った神様のメッセージは「首を差し出して、バビロンの王の軛を負い、彼とその民に仕えよ。そうすれば命を保つことができる(12節)」というものでした。
主はご自分が世界の創造者であり、国々をいったんバビロンの王ネブカドネツァルに与えると言いました(5~8節)。それはバビロン王が神様に従う正しい人物だったからというわけではなく、むしろユダヤの人々がそれ以上に神様に従っていなかったからこそ、彼らを打つために用いるということでした。
神様が人を選んで救いに入れるのは、ただ主の愛と恵みのゆえです。そのことを忘れて高慢になるものを神様は退けられるのです。
2.死ではなく命を喜ぶ主
そのように語られているにも関わらず、結局ユダヤの王も人々も最後まで神様に立ち帰ることはありませんでした。それでも神様は最後の最後まで彼らに立ち帰る機会を与えて呼びかけ続けました。
「どうしてあなたもあなたの民も…(中略)死んでよいであろうか(13節)」と主は言われます。主の願いは罪人が滅びることではなく、立ち帰って生きることです。聖書はすべての人が罪人であることを教えています。私たちも同じメッセージを受け取っています。造り主のもとに立ち帰り、思いを一つにして生きましょう。
3.命の軛を負う
滅びの警告とともに神様は回復の約束を告げます。奪われた神殿の祭具も「わたしが顧みる日…」「わたしはこれらの器具をこの場所に持ち帰らせる(22節)」と告げられました。
その神様と私たちの究極の回復はイエス様にあります。イエス様はこう言われました。「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる(マタイ11:29)」イエス様を信じ、その隣に立って一緒に歩み始める時、私たちは文字どおり主と共に生きる者となります。招きに応答しましょう。
<思い巡らし>
一方的な恵みで救われている/滅びでなく命を/イエス様のもとに